2011年7月31日日曜日

東北地方太平洋沖地震の前兆?


ひとつ前の投稿記事「カリフォルニア州南部で火山噴火?」で、 Zhonghao Shou氏の言う「アースクエイク・ベイパー」(Earthquake Vapor)に触れたので、もう一つ同氏が地震の前兆であるとする「ジオイラプション」(Geoeruption = 地質学的噴出)も紹介します。この言葉は、地震の前に震央付近の上空で雲が不自然に消えてしまう現象を指しています。以下は、同氏が、3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震の16日前に現れたとするジオイラプションの写真です:

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カリフォルニア州南部で火山噴火?


7月23日の気象レーダーの画像にもとづいて、カリフォルニア州南部で火山噴火が起きたと指摘する動画が YouTube のサイトに投稿され、USGS(アメリカ地質調査所)に問い合わせが殺到、同調査所が否定の声明をウェブサイトに掲載する騒ぎがありました。以下はそれを伝える新聞記事です:

問題の動画は以下です:

動画を見ると、たしかに濃いプリューム(噴煙)のようなものが一点から立ち昇っているように見えます。動画の投稿者によれば、プリュームの出現と時を同じくして地震も発生しているとのこと。

一方、USGSはきっぱりと否定しています:

USGSは否定の根拠として、衛星写真に水蒸気や火山灰の噴煙が写っていないこと、プリュームが立ち昇ったとされるピスガ・クレーター(Pisgah Crater、地図)を含むラビック・レーク火山域(Lavic Lake Volcanic Field)から半径20マイル(約32km)の範囲内では地震が発生していないこと、地上の観測者や上空を飛ぶ航空機のパイロットから火山活動の報告がないこと、などをあげています。

上記の地図で左上にあるスケールを操作して倍率を拡大していくと、クレーターの周囲に真っ黒い溶岩が流れ出した痕跡を見ることができます。このクレーターが最後に噴火したのは25000年前のこととされています。

レーダーに写ったプリュームは十中八九は気象性のものだと思われます。しかし、ひょっとしたら地震の前兆ということもあるかもしれません。真偽のほどはわかりませんが、一点から吹き出すような雲の流れは地震の前兆であると考える人たちもいます(たとえば Zhonghao Shou氏)。プリュームが現れた場所は、地殻のひずみが臨界状態に達し、いつ大地震が起きてもおかしくはない、といわれているサン・アンドレアス断層系がある地域にあります。

Zhonghao Shou氏が、大きな被害を出したイランのバム地震(2003年12月26日、直下型 M6.3)の前兆であったとする雲の動画が以下にあります。Shou氏は、アースクエイク・ベイパー(Earthquake Vapor)と呼んでいます。一地点から吹き出しているように見える点が、今回のプリュームと似ています:


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2011年7月30日土曜日

カナリア諸島で地震続発


スペイン領カナリア諸島のエル・イエロ島(エル・ヒエロ島)で、7月17日の昼頃から地震が急増しています:

カナリア諸島(Canary Islands) は、大西洋上、アフリカ大陸北西岸寄り(モロッコや西サハラの沖合)にある火山群島です。『世界大百科事典』(平凡社)によれば ――
地質学上はアフリカに属するが、非常に深い海溝によって隔てられる。主要7島と多くの小島から成り、総面積7273km²。総人口136万7646(1982)。テネリフェ島にある活火山テイデは標高3710mで、スペインの最高峰。
―― とのこと。エル・イエロ島は同諸島の南西の端に位置しています。

発生している地震はマグニチュード1から3の規模で、ほとんどが深さ5kmから15kmの範囲で起きています。

震央は島の北西部に集中しており、そこでは約5万年前に地震をきっかけとした大規模な地滑りで300km³におよぶ大地が海中に滑り落ちて、高さ100mを超えるメガ津波が発生、アメリカ大陸の海岸を襲った可能性が高いと考えられています。

エル・イエロ島では、過去200年以上にわたって火山噴火は起きていません。しかし、地表に現れているだけで500以上の噴火口があり、さらに堆積物に埋もれた火口が300ほどあるとのことです。

2000年に放送されたBBC(イギリス放送協会)の番組では、エル・イエロ島の北にあるラ・パルマ島の火山が将来噴火、山体の崩壊によってメガ津波が発生し6~8時間後に南北アメリカやカリブ海諸国の沿岸部に到達、甚大な被害をもたらす可能性があるとの地質学者の仮説が紹介されたことがあるとのことです。


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地球と同じ軌道をまわる小惑星を発見


NASAの赤外線天文衛星 WISE(Wide-field Infrared Survey Explorer = 広視野赤外線掃天探査機)のデータによって、地球と公転軌道を共有する小惑星「2010 TK7」が発見されました。この小惑星は、これまで海王星・火星・木星で存在が確認され、地球の軌道上にもあるのではないかと予測されていたトロヤ群小惑星です:

「2010 TK7」は地球と公転軌道を共有しているといっても、その運動はかなり複雑です。地球の公転軌道上にあるラグランジュ点の周りを、不規則な軌道を描きながら振動しているように見えます。以下のページにその運動を動画にしたものがあります:

「2010 TK7」の直径は約300m、地球からの距離は約8000万km(地球と月の距離のおおよそ200倍)。軌道は精確にわかっていて、少なくとも今後100年間は地球から2400万km(地球と月の距離のおよそ60倍)以内に近づくことはないとのことです。


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太陽面に立つ天使


以下の画像は、NASAが2010年に打ち上げた Solar Dynamics Observatory(SDO)が、極紫外線の波長で撮影した太陽面の様子です(撮影は今年の7月12日):

太陽の表面に翼を広げた天使が立っている、もしくは、太陽の中から天使が飛び出してきたように見えませんか?


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2011年7月29日金曜日

小松左京さん逝く


日本SF界の草分けで「ミスターちんぼつ」の異名をもち、数々の分野にまたがる多彩なSF小説や評論などを著してきた小松左京さんが、26日に亡くなりました。死因は肺炎だそうです。

以前はかなりのヘビースモーカーだったようで、若いころの写真にはたばこを手にした姿が多く見られます。自分が病死するとすれば肺ガンだろう、自分の肺を開けば真っ黒なタールがたらーりと流れ出してくる……と冗談めかして語った、というような記事をどこかで読んだ記憶があります。

アポロ11号の月面着陸について、「人類の月到達は数え切れないほどの小説に描かれていたが、どのSF作家も予想できなかったことが一つある、それは月への第一歩を記す瞬間がテレビで全世界に生中継されたことだ」と指摘したのも同氏だったと思います。

同氏の作品としては、映画化された『日本沈没』や『さよならジュピター』をあげる方が多いと思います。しかし、私の印象に残っている作品は、悠久の時の流れや無限の宇宙の広がりを感じさせてくれる『果しなき流れの果に』、『神への長い道』、『継ぐのは誰か?』などです。『日本沈没』や『さよならジュピター』は、日本で安っぽいお涙ちょうだいの映画にされてしまったために、原作の雰囲気が壊されてしまいました。できることなら、ハリウッドで映画化してほしかったと思います。

今回の訃報を契機として、書店には同氏の作品が平積みされることになると思います。これまで小松作品をあまり読んだことのない方は、上記のような長編ではなく、『本邦東西朝縁起覚書』、『五月の晴れた日に』、『ある生き物の記録』、『蟻の園』(いずれもハヤカワ文庫JA)のような短編集から読み始めるのが良いかもしれません。

同氏についての記事からいくつか紹介します。同氏は、阪神大震災直後のインタビューで、首都圏で大地震が起こった場合どうなるか、について語っています。「配給権のある東京のキー局が、災害で壊滅状態になった場合、果たして今回のような報道姿勢を地方局でとれるか」:

今回の東日本大震災については、「今は大変な時期かもしれないけれど、この危機は必ず乗り越えられる。この先、日本は必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている」:

最後に、私が読書ノート代わりの京大式カードに書き留めていた小松作品の文章を二つ紹介します。異星人の視点から日本や日本人を見た『ムス・ムス星雲系生物の地球通信』という小説からの引用です。大震災、原発事故、財政破綻の危機とそれらに対してまったく無力な(というよりはむしろ有害ですらある)議会制民主主義など、国難ともいえる混乱に直面している日本に対するある種の視点を提供してくれていると思います:

▼ニホン人の見事な負けっぷり、負け上手
…… 軍事的に優勢な彼等がはいって来た時、非常に面白い現象が起った。高圧的な ―― しかし後世の大陸遊牧帝国の残忍さと徹底性にくらべれば、はるかにゆるやかな ―― 征服者の脅迫に、少しは抵抗したが、先住民族の首長は、結局きわめてあっさりと、支配権を征服者にゆずりわたし、自分は辺境の一地方に隠退してしまうのだ。被害を最小にとどめる「無血政変」の最初のパターン ―― これこそ、この小島住民の歴史の中にくり返し出てくるのだが ―― は、実にこの時あらわれるのである。…… このニホン人のあまりに見事な負けっぷり、負け上手……。

▼クニタマ(國霊?、國魂?)の浮上
この国の連中は、みな論理よりも深いカンで動く。大変動の時は、どんなにすぐれた理論も役に立たないし、へたに力をふるって、理論のものさしに強引に事態をあてはめようとすると必ず大きな被害が出る。たくさんのすぐれた連中が、いっせいにカンで動き始めると ―― なんというかな、この国でいうクニタマみたいなものが集団の底からあらわれてきて、まず大体考えられる一番いい状態におちついていく。

地球に危険を及ぼす可能性のある未発見の彗星


今年2月4日、NASAのCAMS(Cameras for Allsky Meteor Surveillance 全天流星監視カメラ群)プロジェクトが未知の流星群をとらえました。この流星群は February Eta Draconids(2月のりゅう座エータ流星群)と名付けられました。

流星群は、彗星がその軌道上に撒き散らした塵の帯の中を地球が横切るときに出現します。したがって、流星の軌道を逆算すると、その流星物質を残していった母彗星の軌道を推定することができます。今回発見されたりゅう座エータ流星群の元となった彗星の軌道を計算したところ、公転周期53年以上で、地球に危険を及ぼす可能性のある軌道をもつ未発見の彗星が存在していることが判明したとのことです:

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2011年7月28日木曜日

噴火の兆候が強まるカトラ山 ― アイスランド


今月初旬、カトラ山の周辺では突発的な洪水が起こりました(当ブログの7月10日付「カトラ山が小規模噴火か ― アイスランド」参照)。この洪水の原因については、その後の科学的調査によって、地下からの熱水の噴出によって氷河が溶けたとの見方が優勢ですが、カトラ山が小噴火を起こした可能性も排除されていません:

小噴火があったのか否かは別にしても、カトラ山の地下では噴火の準備が着々と進んでいるようです:

以下に上記の記事を抜粋します:
カトラ山の深部で起きているマグマの異常な動きは、巨大噴火につながる初期段階の活動であると観測者たちは考えている。7月26日に5時間半にわたって継続した最新の地震活動は、地下3.5kmで起きていると考えられている。 
過去5週間にわたって、カトラ山周辺の地震活動は着実に強まってきている。 
カトラ山は過去1000年間に16回噴火したことが知られており、噴火の間隔は40年から80年である。過去92年間は大きな噴火が起きていないが、1955年と1999年に氷河の下で小規模な噴火が起きた可能性がある。 
昨年起きたエイヤフィヤトラヨークトル氷河の噴火では、噴煙が航空機のエンジンに危険を及ぼすため、ヨーロッパの航空路が広範囲にわたって閉鎖される事態になった。
エイヤフィヤトラヨークトル氷河では過去1000年間に3回の噴火が知られているが、その3回とも、カトラ山の噴火が後続した。 
地球物理学者たちが、地震が増加したことにもとづいてカトラ山の活発化を最初に報告したのは今年6月のことである。 
7月9日、アイスランド当局はカトラ山周辺の集落の避難を開始した。これは、氷河に覆われたカトラ山のクレーター上空を飛行した航空機からの観測によって危険な量の火山ガスを検出したことと、氷河に亀裂が入りカトラ・クレーターの南東の縁で大規模な氷河のメルトダウンが起きる可能性が出てきたためである。


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2011年7月27日水曜日

謎の発光現象 ― ハワイ


6月22日、ハワイのマウナ・ケア山の頂上に設置されている日本の「すばる望遠鏡」の監視カメラが、謎の発光現象を捉えました。以下のページには、その画像をつなぎ合わせてGIF動画にしたものと、「すばる望遠鏡」に勤務する天文学者イチ・タナカ氏のメッセージが掲載されています:

動画では数秒で発光現象が終わっていますが、実際には5分以上かかっています。以下に天文学者イチ・タナカ氏の記述を要約します:
6月22日の早朝(タナカ氏は3月22日と書いていますが、動画のタイムスタンプは6月22日なので、同氏の勘違いと思われます)、マウナ・ケア山頂にいた私たち「すばる望遠鏡」の観測者は、東の地平線上に巨大な光の輪が出現したことに気づきました。それはゆっくりと広がり、5分かそれ以上経過した後には視角45度以上に広がりました。
この現象は、「すばる」のキャットウォーク・ナイト・カメラとCFHT(カナダ・フランス・ハワイ望遠鏡)の北北西に向けたウェブ・カメラに記録されました。 
私たちには、この現象が何なのか皆目見当がつきません。2つの動画を比較すると、この現象はマウナ・ケア山の頂上から近いところではなく、はるかに遠いところで起きたと考えられます。それが意味するところは、この光の輪のサイズが非常に大きなものであるということです。

以下は、CFHTのウェブ・カメラで撮影された画像を動画にしたものです:

この現象の原因についてはネット上で議論が交わされ、さまざまな意見が出されています。たとえば、異次元空間への入り口か他の銀河系からのワーム・ホールが開いた瞬間だとか、エーリアンの宇宙船同士の戦闘で一方の宇宙船が消滅させられたときの閃光だ、とか。でも結局はもう少し現実的な見方が支配的です。それは、アメリカの大陸間弾道弾ミニットマン III型の3段目から爆発的に放出された燃料あるいは燃焼ガスが、大気圏上層の薄い空気の中を高速で広がったために、球殻状に光って見えたという推定です。

発光現象の背後に写っている星座の位置から、この発光現象はマウナ・ケア山から北東の方向で起きたことがわかります。ハワイ島から見てこの方向にはアメリカ本土・カリフォルニア州があります。そして、問題の発光現象が起きる数分前に、カリフォルニア州にあるバンデンバーグ空軍基地から大陸間弾道弾ミニットマン III型が太平洋上の目標に向けて試験発射されています(報道記事1報道記事2)。

ミニットマン III型は3段式の固体燃料ロケットです(構造図飛行経路図)。固体燃料ロケットは花火と同じで、一度点火すると燃料が燃え尽きるまでは推力を発生し続けます。一方、弾頭部(核弾頭と囮弾頭)を正確な軌道に乗せるためには、任意の時点で推力を止める必要があります。また、弾頭部を分離した後でも3段目が推力を維持していると、弾頭部に追突する恐れもあります(日本でも3段目のロケットが人工衛星に追突して軌道投入に失敗したことがあります)。このため、3段目の側面には燃焼ガスを逃がすために複数の穴が設けられています。この穴は打ち上げ時にはふさがれていますが、必要なときがくると火薬でふたを吹き飛ばして燃焼ガスを逃がします。

問題の発光現象は、この火薬の爆発か、その後に開口部から放出された燃焼ガスが薄い大気の中を高速で広がったために起きたのではないか、というのが現時点で最も有力な推定です。

今回の発光現象と類似した現象としては、2009年末にノルウェー上空に現れた光の渦巻きがあります(当ブログ 09年12月10日付「ノルウェー上空の奇怪な現象」参照 )。この現象については、その後の調査で、ロシアの潜水艦から試験発射された新型ミサイルが制御不能に陥り、回転しながら燃料あるいは燃焼ガスを撒き散らしたことによって発生した、ということで一件落着しています。

今回の発光現象から10日後の7月2日、「すばる望遠鏡」では、望遠鏡上部の主焦点付近から冷却液が漏れて、主鏡を含む広範囲の観測装置が汚染されるという前代未聞のトラブルが発生しました。7月22日に一部の装置を使った観測が再開されていますが、主要な観測装置はまだ使えない状態です:

発光現象に続いての「すばる望遠鏡」のトラブルは、陰謀説マニアの人たちにとっては「お話」を作り上げるための格好の材料ではないでしょうか。つまり、「すばる望遠鏡」の研究者たちが、見てはいけない物を見たり公表したりしたために、いわゆる「陰の勢力」が警告あるいは報復するために望遠鏡に対して破壊工作をおこなった……(笑)。


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2011年7月23日土曜日

アトランティスの大気圏突入

最後のスペースシャトル・アトランティスが大気圏に突入した際の光跡です。国際宇宙ステーションの乗員が撮影したものです。こういう画像は初めて見ました:

地平線の右端寄りには都市の明かりが見えます。また、大気の上層部が輝いているのも見て取れます。

大気圏突入に際してスペースシャトルや流星が光るのは、「大気との摩擦熱で…」と説明されることが多いですが、正しくは高速の物体によって大気が圧縮されて高温になり発光するためだそうです。


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2011年7月16日土曜日

再開にあたって


3月14日の投稿を最後に、約4ヶ月にわたってこのブログの更新が滞ってしまいました。日本が想定外の巨大地震と大津波、そして原子力災害にみまわれた後、私の身辺にも想定外の出来事が起こり、ブログの更新ができなくなっておりました。

更新のないまま4ヶ月が経過したため、このブログは読者から見放され、ペンペン草が生え閑古鳥が鳴いていると思っておりました。ところが、ブログの統計を調べてみると、この4ヶ月の間も平均して1日あたり約1500ページビューのアクセスがあったことがわかりました。このブログを見放さずにたびたび訪れてくださっていた方々に感謝いたします。

予告なく長期にわたってブログの更新が止まってしまったことへのお詫びと釈明をかねて、この4ヶ月間に私の身の回りにおきた出来事を差し障りのない範囲で書いてみようと思います。長くなるので初めに短くまとめると、(1)仕事上の緊急呼集、(2)入院、(3)PCの故障の3つが次々におきたため、更新できない状態が長引いてしまった、という次第です。

事の起こりは3月14日の夜、というよりは15日の未明でした。勤め先から緊急呼び出しの電話があり、夜明け前に迎えの車でオフィスに。就業規則に「緊急呼び出し」の規定があり、呼び出しがかかった場合には原則として拒否できないということは頭の片隅に入っていたのですが、まさか私が呼び出しの対象になるとは思ってもいませんでした。それ以降、目の回るような忙しさで、帰宅はおろか入浴や着替えもままならない日が続きました。

3月17日には、福岡へ出張するために羽田空港に。空港はいつもとは違う異様な雰囲気でした。見渡す限り、幼い子の手を引いたり抱いたりした若い母親の数が非常に多い、というよりはほとんどがそのような人たちでした。空港の職員に尋ねたところ、彼らも同じ印象を持っていて、それらの乗客のほとんどは放射能汚染を避けるために自分や夫の実家のある地方へ疎開しようとしているらしい、との返事でした。

東京に戻ってからも忙しい日々が続き疲労がピークに達したころ、私の身に事件が起きてしまいました。会議が終わって自席に戻るために階段を降りているときでした。余震を警戒してエレベーターは使用禁止、普段から暗い階段の照明は節電のためにいっそう暗くなっていました。はっきりとは憶えていないのですが、もう少しで踊り場に足が届くというときに、何かズシリと重い塊がお腹の底から体の芯を駆け上って脳にぶつかったような感覚があって、その後は何が何だかわからないまま踊り場に倒れ込んでしまいました。ほとんど痛みは感じなかったのですが、体を動かすとさらに事態が悪くなりそうな予感があり、その場に倒れたままじっとしているしかありませんでした。階段の上り下りには注意していたつもりなのですが。

病院で全身麻酔で手術を受けることに。手術台にのせられると、両手には血圧や心拍を測定するケーブルが取り付けられ、両足は広げた状態で足首をベルトのようなもので固定されました。鼻と口は呼吸と麻酔用のマスクで覆われ、顔の周りは厚いカーテンのようなもので遮られて、執刀医や麻酔医、男女の看護師の姿を見ることはできなくなり、人の声や金属製の手術器具のたてる音、それに私の鼓動に合わせて測定器が出す信号音だけが聞こえる状態に。

「足を上げますよ」という女性看護師の声がして手術台の足を固定した部分がせり上がり始めるとほぼ同時に、耳元で麻酔医が「じゃぁガスを入れますね。大丈夫ですよ~」。その声を聞き終わるか終わらないうちに完全に意識を失いました。事前の麻酔医の説明で、麻酔には笑気ガス(亜酸化窒素ガス)を使うが、ガスを吸って1秒以上意識を保てる人はほとんどいない、と聞かされていたとおりでした。

1時間弱で手術は終わったそうですが、私が意識を取り戻したのは病室に運ばれる途中。周りの看護師からしきりに名前を呼ばれて目を覚ました私は、問われるままに「痛みはない」とか「気分は悪くない」などと受け答えをしたつもりだったのですが、看護師は「わからない」と首を振るばかり。後で聞くと、麻酔から完全には覚めきっていない私のろれつが回っていなかったので、何を言っているのかさっぱりわからなかったとのこと。病室のベッドに戻されてしばらくすると急にひどい吐き気に襲われました。これも、全身麻酔が解けた後に吐き気をうったえる人が何パーセントかいる、との麻酔医の説明のとおりでした。

手術後、なかなか出血が収まらず細菌感染による発熱も始まったため、腕には抗生剤や栄養剤の点滴、鼻やそのほかの場所にも管が差し込まれ、寝返りもままならない状態で何日も過ごさざるを得ませんでした。

手術後の2晩、続けて奇妙な夢を見ました。それまでに私が見た夢とはパターンがまったく違っていたので印象に残っています。舞台はすべて欧米のようでした。どこかの研究所の少し暗い室内で同僚たちとディスプレーの画面を見ながら何かを議論していたり(同僚たちが地味なセーターやカーディガンのようなものを着ていてイギリスの雰囲気)、左側に石造りの古い建物が建ち並び、右側には小川と暗い森が続く石畳の道を、猛スピードで自転車をこいで先を行く誰かの乗った自転車を追いかけているが、路面が濡れていて滑りやすいのに加えて道が直角に曲がっていたりしてなかなか追いつけなかったり、アメリカ中西部風の小さな町のメインストリート(といっても未舗装で両側には開拓時代のような木造の家並み)で、左側の路肩に穴が掘られていて、その中にレトロな服装の女性が仰向けに横たわっており、穴の周りに集まった人たちが口々に「コンクリート・メアリー」とつぶやいていたり(その女性はこれから埋められるところなのか、掘り出されたところなのかは判然としません)、などなど。

手が少し自由に動かせるようになってから気づいたのですが、首の真後ろで髪の生え際から1cmほど下がったところに以前はなかった丸い盛り上がりがあることに気づきました。手術中にマイクロチップでも埋め込まれた(笑)かと思いましたが、その後数日で消えました。背中ニキビだったようです。

ようやく退院にこぎ着けた日、病院の玄関には勤め先が手配してくれた黒塗りの大型乗用車が横付け。企業のトップや暴力団の幹部が乗るような車で気恥ずかしさを覚えましたが、いつも自宅とオフィスの間の送迎をしてくれている運転手さんだったので遠慮なく乗ることに。最後の診察や退院の事務手続きが手間取って予定よりも2時間以上遅くなったのですが、その間、この状態で病院の入り口に駐まっていたとしたら、ほかの来院者に迷惑をかけたのではないかと気がかりでした。が、そこはプロの運転手。私が玄関に向かったら携帯電話で知らせてくれるように病院のスタッフに頼んでおいて、車はほかの場所に移動していたとのこと。

乗る機会のめったにない高級車で、ガラスも分厚くドアが閉まると外の音が全くといっていいほど聞こえなくなりました。電話が2台あるなど内部の装備も充実していて、何に使うのかわからない電子機器もありました。車内にはプラズマクラスターの空気清浄機が取り付けられていて、久しぶりにさわやかな空気を思い切り吸うことができました。新車の香りがしたので聞いてみたのですが、それほど新しい車ではないとのこと。プラズマクラスターの効果なのでしょうか。一方の私は、入院中まったく入浴できず、ぬれタオルで体をぬぐうだけでしたので、そうとう臭ったのではないかと思います。

家についてまずしたのはシャワーを浴びること。そして誰にも邪魔されずに好きなだけ眠ることでした。

その後、親族に勧められて長野県内にある叔父の別荘で静養することに。最初の数日は叔母がいて世話をしてくれたのですが、その後は私一人きりになりました。森の中の一軒家です。2階の窓からは少し離れたところにある2軒の家が見えるのですが、夜も明かりが灯らず人がいる気配がありません。車が駐まっていて人が滞在しているらしい家までは数百メートル。夜は真っ暗で、周囲の森の中からいろいろな物音が聞こえてきて不気味でした。2階の寝室で寝ていたのですが、ときおり庭や屋根の上を何か(小動物?)が動き回っているような音がして緊張しました。警備会社の非常通報ボタンがこれほど頼もしく思えたことはありません。夜間は閉め切ったカーテンを開ける勇気がありませんでした。何かが窓の外にいてこちらを見ているのではないかという恐怖感があったからです。20年ほど前には同じ別荘地内で若い女性が殺されるという事件があったそうです。親戚の別荘に一人で滞在していた女子大生が、買い物の帰りに地元の若者に後をつけられ襲われたのだそうです。

そういう怖さはあったものの、早朝の散歩で味わうすがすがしい空気のおいしさや、カラ松林越しのすばらしい眺望が刻々と色合いを変化させていく様子に、心身ともに癒やされ、浩然の気を養うことができました。

もう一つ、このブログの更新再開が遅れた理由があります。それは、退院後、自宅のPCが2台とも相次いで故障したことです。メインのデスクトップ・マシンは“ブルースクリーン”が頻発、サブとして使っていたノートブックPC(ThinkPad)は起動時に“ファン・エラー”を繰り返すようになり、とうとう全く起動できなくなりました。最後の手段として、いずれ家庭内LANに接続してファイル・サーバーにしようと温存していたウィンドウズMe搭載のフルタワー・マシンを引っ張り出してきたのですが、ネットにつなげることができずに投了。

壊れた2台のPCは、ともにウィンドウズXPを搭載したIBM製のマシンです。デスクトップの方は、以前から時折“ブルースクリーン”が起きるようになっていたので、ハードディスクが寿命を迎えて読み書きのエラーレートが上がったのが原因ではないかと思っています。ノートブックの方は、ネットで調べると同じような故障を経験しているユーザーが結構いるようです。昨年後半あたりから冷却ファンの音が少しずつ大きくなってきていたので、それが予兆だったのでしょう。IBMのPC事業を継承したレノボにThinkPadの件で電話すると、すでに修理対応の期間が終わっており、交換部品もないので修理には応じられないとのこと。25万円近い製品が、新品で購入してから6年程度で修理できなくなるというのは納得できないものがあります。

ノートブックPCの方はいずれ中古部品のファンを調達して自分で修理することにして、デスクトップの方はこの際思い切って新しいものを買うことにしました。以前から、次に買うときはDellにしようと決めていたので、迷わずDellのミドルタワー型の機種を選択。CPUはインテルの第2世代コア i7(4コア)。メモリーだけは「金に糸目をつけずに」積めるだけ積むのが私の主義なので16GB。OSはウィンドウズ 7 の64ビット版にしました。

以前からデータのバックアップは定期的に外付けハードディスクとUSBメモリーにとっていたので、マシンが2台とも壊れてもデータロスはほとんどありませんでした。新マシンは、最新CPUやGPUのパワーでウェブの閲覧も快適です。今までは回線スピードのせいだと思っていた重たいページの表示もほとんど一瞬です。回線容量がボトルネックだったのではなく、マシンの性能が大きく影響していたようです。

問題は、ウィンドウズ 7 の使い勝手、つまりユーザー・インターフェースがXPとはかなり違っており、慣れるのにまだ時間がかかりそうなことです。私はマウスではなくショートカット・キーを多用するのですが、たとえばフォーカスするウィンドウを切り替えるときに使う「Alt+Tab」もXPのときとは動きが異なっており戸惑います。ウィンドウズ「Vista」をとばして、いきなり「7」に乗り換えたためかもしれませんが、何かと評判の悪かった「Vista」に手を出さなかったのは今でも正解だったと思っています。

数日かけて長々と書いてしまいました。健康状態にもまだ一抹の不安があり、以前ほどの頻度でブログの更新ができるかわかりませんが、少しずつ従前のペースを取り戻したいと思っています。どうか、今後ともこのブログをよろしくお願いいたします。

2011年7月10日日曜日

カトラ山が小規模噴火か ― アイスランド


この ブログの休止中にアイスランドではグリムスボトン山が噴火し、さらにここ数日はヘクラ山も噴火の兆候を見せるなど火山活動が活発化しています。昨年噴火したエイヤフィヤトラヨークトル氷河の次はカトラ山が危ないというのが大方の推測でしたが、7月8日から9日にかけての夜、カトラ山周辺で氷河が溶けたためとみられる洪水が突然発生し、橋が押し流されて国道が閉鎖されるなどの被害が出ています。氷河に埋もれているカトラ山が小規模な噴火を起こしたのではないか、との推測が出ています:

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