2010年5月4日火曜日

Naming X ― 天体 X に名前をつけよう

まだ名前の付いていない太陽系内の天体は、それこそ星の数ほどあります。先日地球に接近した 小惑星 2005 YU55 もその一例で、「2005 YU55」は暫定的につけられた番号にすぎません(4月30日付「小惑星 2005 YU55 が地球近傍を通過」を参照してください)。

これらの小天体につける名前の候補の募集がおこなわれています。募集要項をざっと読んだ限りでは、国籍に関する制限はないようです。応募の e-メールに国名を書くように指示があるので、日本からの応募も可能だと思います。

参加資格は 12歳ぐらいまでの学童に限られます。応募の手続き、といっても指定の書式で e-メールを送ることですが、親が代行することが許されています。締め切りは 5月 30日です。

募集要項は以下にあります:

この催しは、冥王星の発見 80周年と、冥王星の命名者 Venetia Burney Phair 女史の逝去から 1年を記念しておこなわれるものです。命名当時、彼女は わずか 11歳でした:
1930年 3月 14日の朝、Falconer Madan は 『The Times』 紙に掲載された新惑星発見の記事を読み、そのことをダイニング・ルームで朝食をとるためにすわっていた 孫娘の Venetia に話した。子供ながらもギリシャやローマの神話・伝説に熱中していた Venetia は、Pluto という名前はどうかしらと提案した。Pluto はローマ神話に登場する冥界の神で、姿を消すことができる 。

Falconer Madan は、孫娘の提案を天文学者の Herbert Hall Turner に伝え、彼はそれをアメリカのローウェル天文台にいる同僚たちに電報で知らせた。冥王星の存在を予言していたパーシバル・ローウェル(Percival Lowell)の名前と同じ “P” で始まるその名前を、冥王星の発見者トンボーは気に入った。1930年 5月 1日、新天体の名前として Pluto が正式に採用された。

Venetia は 2009年 4月 30日にイギリスの Banstead で安らかに息を引き取った。

募集要項の中に、既存の天体と重複したり紛らわしかったりする名前は避けるようにとの一項があります。すでにそのような事態が生じており、混乱のもとになっているからです:

政治分野や軍事分野の個人名や出来事の名称は、個人の死去後あるいは出来事の発生後 100年経過するまでは避けるようにとのガイドラインもあります。

これまでに日本人が命名した小惑星はかなりの数に上ります。日本の探査機「はやぶさ」が調査した小惑星イトカワもその例です。

小惑星の名前には、日本の歴史上の人物、たとえば「龍馬」「松陰」「後白河」「清盛」「建礼門院」「晴明」「和気清麻呂」があるかと思えば、「薬師丸」「早見優」「坂本九」「玉緒」「優作」などのタレント名、「伊丹十三」「宮崎駿」などの監督名、さらには「恵」「左紀子」「野村陽子」「ひろくん」といった発見者の妻や妹など身内の名前というのもあります: