2011年1月31日月曜日

洪水と地震の関係 ― オーストラリア


新燃岳の噴火などに時間をとられて書きそびれていました。1月 24日早朝、オーストラリアのクイーンズランド州南部で有感地震がありました:

地震の規模はジオサイエンス・オーストラリアの発表では M3.3、震源の深さは 10km です (上記記事では報道の時点での速報値 M3.6 になっています)。震央(地図)に近いセント・ジョージ周辺では 4~5年に 1回程度の頻度で今回のような小規模地震が起きているそうで、1990年代には M4.3が発生、1954年には同地域として最大の M5.3が記録されています。

またクイーンズランド州全体では、今回のような小規模地震が年に数回発生しているとのことです。いずれにしろ、日本に比べれば、地震が無きに等しい地域です。

最近クイーンズランド州を襲った史上最大級の洪水については、日本の TV ニュースでもかなり取り上げられておりご存知の方も多いと思います。小麦など食料品の価格や、鉄鉱石や製鉄用石炭の供給にも影響が必至です。今回の地震の震央に近いセント・ジョージも洪水の被災地です。

オーストラリア各紙が言及しているのが、この大洪水と地震の関係です。クイーンズランド州で起きた過去最大の地震は、1918年 6月 6日にロックハンプトン(地図)で起きた M6 ですが、その時、同市は史上最大規模の洪水にみまわれていました。オーストラリア地震センターの責任者は 「洪水と地震の間に明白な関連性はないが、2種類の自然災害が同じ地域で同じ年に起こるのは珍しい」 と語っています。


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2011年1月29日土曜日

スナメリが川を遡上 ― 愛知県名古屋市


1月 29日午後、名古屋市内の堀川にイルカの一種、スナメリが迷い込んでいるのが見つかりました:

一方、昨年 2月に名古屋市内の川に迷い込み保護されていたスナメリが同じ 29日の未明に息を引き取りました:

こちらのスナメリについては、このブログの昨年 2月 19日付記事 「スナメリが川を遡上 ― 愛知県名古屋市」 も参照してください。


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霧島山の噴火と地震の関係


『理科年表』(丸善書店)所載の 「日本のおもな火山に関する噴火記録」 と 「日本付近のおもな被害地震年代表」を使って、霧島山の噴火と時間的・地理的に接近して発生した被害地震の対応表を作ってみました。

「日本のおもな火山に関する噴火記録」 には、霧島山の噴火が西暦 742年(天平 14年)以降 44回記載されています。各噴火記録は、噴火場所について「高千穂峡お鉢火口」、「新燃岳山頂火口」、「その他の地点、または噴火地点不明」が区別されているのですが、以下の表ではそれらを区別せずに扱っています。

霧島山の噴火は、フィリピン海プレートの移動方向から考えて日向灘で起きる地震と関連があるように思っていたのですが、実際に表を作ってみると、そのようなケースは予想外に少ないことがわかりました。多かったのは、大分県・熊本県・鹿児島県で、霧島山の噴火と相前後して発生するか、噴火から数年以内に発生する被害地震でした。


霧島山の噴火年 地震
1596 1596 豊後 M7.0 高崎山など崩れ、八幡村柞原八幡社拝殿など倒壊。海水が引いた後、大津波が襲来し、別府湾沿岸で被害。大分などで家屋ほとんど流失。「瓜生島」(大分の北にあった沖ノ浜とされる)の 80% 陥没し、死 708 という。

1598-1600 1605 『慶長地震』 M7.9+M7.9 東海・南海・西海諸道

1617-18 1619 肥後八代 M6.0 麦島城はじめ公私の家屋が破壊した。

1703 豊後 M6.5 府内(大分)山奥 22ヵ村で潰家 273、破損 369、死 1。湯布院筋・大分領で農家 580軒潰れる。豊後頭無村(現日出町豊岡)で人家崩れ、人馬の死があった。

1705 阿蘇付近 (M 不明) 阿蘇で坊の大破や崩れがあったという。岡城で被害があったという。

1706 1707 『宝永地震』 M8.6

1768 1768 琉球 (M 不明) 王城などの石垣が崩れた。津波が来て、慶良間島で田園と民家 9戸を損じた。

1769 日向・豊後・肥後 M7¾ 延岡城・大分城で被害多く、寺社・町屋の破損が多かった。熊本領内でも被害が多く、宇和島で強く感じた。津波があった。

1771-72 1771 八重山・宮古両群島 M7.4 『八重山地震津波』 津波による被害が大きく、石垣島が特にひどかった。全体で家屋流失 2千余、溺死約 1万2千。

1880 1882 高知市付近 (M 不明) 市中で壁が落ち、板塀が倒れ、石灯籠の頭が落ちるなどの被害があった。

1888-89 1889 熊本県西部 M6.3 熊本市を中心に半径約 20km の範囲に被害があり、県全体で全潰 239、死 20。橋の落下や破損が多かった。

1891 1893 鹿児島県南部 M5.3 知覧村付近で強く、家屋・土蔵・石垣・堤防など破損。近くの村々でも被害。倒家 2。

1896-97 1899 宮崎県沖 M7.1+M6.9

1903 1905 安芸灘 『芸予地震』 M7¼ 広島・呉・松山付近で被害が大きく (中略) 1903年以来、この近くで地震が多かった。

1913-14 1913 鹿児島県西部 M5.7+M5.9

1914 鹿児島県中部 『桜島地震』 M7.1 桜島の噴火で発生した地震。鹿児島市で住家全倒 39、死 13、鹿児島郡で死 22余。小津波があった。

1959 1961 日向灘 M7.0 宮崎・鹿児島両県で死 2、建物全壊 3。九州から中部の沿岸に津波。

1968 えびの地震 M6.1

『1968年 日向灘地震』 M7.5

1971 1975 熊本県阿蘇地方 M6.1 阿蘇外輪山内にある一の宮町三野地区に被害が集中した。

1975 大分県西部 M6.4



上の表について注意して頂きたいのは、記載した霧島山の噴火と被害地震の間に因果関係があるのかはわからない、という点です。偶然に、時間的・地理的に接近して発生しただけかも知れません。また、『理科年表』に記載されている 44回の噴火のうち、上の表に入っているのは 14回だけです。それ以外の噴火については、時間的・地理的に接近して発生した被害地震は見あたりませんでした。その点についても留意してください。


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ガレラス山の噴火切迫 ― コロンビア


南米・コロンビア南西部にあるガレラス山(地図)で地震が急増、山頂からのガス噴出も増えたため警戒レベルが 「オレンジ」 に引き上げられました:

当局の発表では、数日から数週間のうちに噴火が始まる可能性が高いとのことで、すでに周辺住民 8000人を収容する避難所の準備が始まっています。

ガレラス山はコロンビアでもっとも活動的な火山で、2010年は 1月と 8月に噴火、2009年には 5回噴火しています。

コロンビアでは 1月初旬に 4つの火山が活発化し、警戒レベルが 「イエロー」 に引き上げられました。ガレラス山はそのうちの 1つです:

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2011年1月28日金曜日

ブロモ山の噴煙で飛行ストップ ― インドネシア


インドネシア・ジャワ島東部にあるブロモ山(地図)は昨年 11月に噴火を始めましたが、1月 27日、同山の噴煙が著名な観光地・バリ島のデンパサール国際空港を覆ったため、飛行のキャンセル、迂回、出発地への引き返しなどが発生しました:

インドネシアでは、多数の死者を出したメラピ山の火山活動が沈静化していますが、ブロモ山や、スマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡にあるアナク・クラカタウ山の活動が活発になっています。


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2011年1月27日木曜日

九州北部で空振(くうしん)観測 ― 霧島山(新燃岳)の噴火で


1月 27日未明、佐賀県・福岡県・長崎県で、霧島山(新燃岳)の噴火の衝撃による空振(くうしん)が観測されたとのことです。爆発音も聞こえたようです:

佐賀地方気象台では 「午前2時ごろから同4時ごろにかけて断続的に南方向から爆発音と空気の振動を確認」。県北部を除く広い範囲の住民から 「障子がガタガタ揺れている」 などの問い合わせがあったとのこと。

新燃岳から、空振が観測された地域までのおおよその距離は、佐賀県が 160km、福岡県(太宰府市)が 180km、長崎市内が 130km です。

私も空振を経験したことがあります。神奈川県藤沢市で湘南海岸から歩いて 5~6 分のところに住んでいたのですが、1986年、伊豆大島三原山が大噴火し全島民島外避難がおこなわれたとき、2階の勉強部屋の南に面した窓のガラスがミシッときしむような音を立てたり、ビリビリと震えたりしました。特に夜、強い風が吹いているわけでもないのに窓ガラスが音を出すので気味が悪かったことを憶えています。それが空振という現象であることは、後になってテレビのニュースで知りました。


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2011年1月26日水曜日

霧島山(新燃岳)の噴火規模拡大


午前 7時 31分に始まった新燃岳(地図)の噴火の規模が拡大し、噴煙が火口から 2000m の高さまで上がっています。気象庁は噴火の警戒レベルを 2(火口周辺規制)から 3(入山規制)に引き上げました:

またいつものように短期間の小噴火で終わるのだろうと思っていたのですが、その一方で、気象庁が発表した今朝の小噴火についての情報に、これまでとは違って 「振幅のやや大きな火山性微動は 07時 17分から発生し 14時現在も続いています」 とあり少し不穏なものを感じていました。

上記 『毎日放送』 の記事によれば、「火口からおよそ5キロに位置する都城市御池では、最大で直径2センチから3センチの噴石が確認され、車の窓ガラスが割れる被害もあった」、「火山灰の影響で宮崎県内ではJRが3つの区間で運転を見合わせているほか、宮崎空港を発着する便も6便が欠航するなど、交通機関に乱れが出ています」等々、被害や交通機関への影響が出ています。

また 『南日本新聞』 の記事には、専門家の話として 「新燃岳で噴煙が数時間連続して上がるのは、1959年以来とみられる」 との記載があります。

上記気象庁の解説資料には、「19 日に新燃岳で発生した噴火に伴う火山灰を解析した結果、新しいマグマに由来する粒子が検出されました。これはマグマが火口直下の浅いところまで上昇していることを示唆していると考えられます」 とあり、今後噴火の規模がさらに大きくなったり、長期化したりする懸念があります。


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霧島山(新燃岳)が小規模噴火


1月 26日午前 7時 31分、宮崎・鹿児島県境にある霧島連山・新燃岳(地図)が小規模な噴火をおこしました:

新燃岳はちょうど 1週間前の 1月 19日午前 1時 27分にも小噴火を起こしています。

前回の小噴火と同じく、宮崎県都城市付近など新燃岳の南東方向で降灰が確認されています。

前回とはちがう場所から噴火したようです。前回の小噴火については、「昨年(平成 22年) 5月 27日の噴火により形成された S19 噴気孔が拡大し、周辺には火山灰等が厚く堆積している状況から S19 噴気孔で噴火したと推定されます」 と発表されましたが、今回は 「上空からの調査では、火口内は、噴煙におおわれて不明瞭でしたが、火口内の S15 噴気孔から噴煙が噴出している」 らしいとのことです。


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2011年1月20日木曜日

イエローストーンで地面が急激に隆起?


日本語版 『ナショナルジオグラフィック』 の記事です:

この日本語版の記事は、英語版とはニュアンスがまったく違っています。タイトルも英語版が “Yellowstone Has Bulged as Magma Pocket Swells” であるのに対して、かなりセンセーショナルで、トンデモ屋さんやフィア・モンガーの人たちが喜びそうなものに変えられています。

今夜は時間がない (馬車がカボチャにもどってしまう) ので、詳しいことは後日追記します。


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霧島山(新燃岳)が小規模噴火


1月 19日午前 1時 27分、宮崎・鹿児島県境にある霧島連山・新燃岳(地図)が小規模な噴火をおこしました:

曽於市・都城市・日南市など、新燃岳の南東方向で降灰が確認されています。火山性微動や空振の観測データからすると、噴火の規模は昨年 7月 10日のものより小さいとのことです。


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温泉の成分変化 ― 和歌山県紀美野町


和歌山県海草郡紀美野町菅沢の温泉(地図)が、温泉法の定める含有物質の規準を満たさなくなったため、「温泉」の表示ができなくなったとのことです:

前回の検査が平成 8年(1996年)ですから、泉質の変化は急激ではなく、徐々に進んだと思われます。紀美野町では 「主成分だった硫黄が下がった原因は不明だが、 雨や地殻変動で下がった可能性もあるとして再検査していく」 としています。


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太陽接近彗星が急増、大彗星接近の前兆か


日本語版 『ナショナルジオグラフィック』 の記事です。太陽観測衛星 SOHO (太陽・太陽圏観測衛星: Solar and Heliospheric Observatory)が捕捉するサングレーザー (太陽に接近したり突入したりする彗星) は通常、数日に 1個程度。しかし、2010年 12月には、わずか 10日間で 25個にのぼりました。一部の天文学者は、巨大な彗星が太陽に接近する前兆ではないかと推測しているとのことです:

反対の意見もあります。1994年に木星に衝突したシューメーカー・レビー第 9彗星の発見者であるデイビッド・レビー氏は 「現在観測されている彗星群は、既に消滅した巨大な彗星の最後の名残にすぎないかもしれない」、NASA ジェット推進研究所(JPL)のドン・イェオマンズ(Don Yeomans)氏は 「SOHOが観測した彗星群の軌道を太陽系の果てまでさかのぼれば、太陽へ向かって接近している巨大な彗星にたどり着けるかもしれない。(中略) そのような彗星を発見できたとしても、太陽に到達するまでに数千年から数百万年はかかるだろう」 と語っています。


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2011年1月19日水曜日

ブルサン山で水蒸気爆発 ― フィリピン


現地時間 1月 18日午前 3時ごろ、ルソン島南端部にあるブルサン山の山頂火口で爆発があり、周辺で爆発音が聞こえました。同山の頂上部は厚い雲に覆われていたため、爆発の様子は見えなかったとのことです。夜が明けてからおこなわれた調査で降灰が確認されています。Phivolcs (フィリピン火山学・地震学研究所)は、山頂の浅いところで起きた水蒸気爆発であると発表しています:

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2011年1月18日火曜日

地震予測プログラム (補足)


昨年 10月 28日付 「地震予測プログラム」 についてのわかりやすい解説が、今朝の『朝日新聞』科学面に掲載されています:

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2011年1月17日月曜日

ルソン島の 3火山が活発化 ― フィリピン


1月 15日から 16日にかけて、フィリピンのルソン島にあるタール山・マヨン山・ブルサン山(地図*)がそろって活発な活動を見せました:

ただし、Phivolcs (Philippine Institute of Volcanology and Seismology、フィリピン火山学・地震学研究所) によれば、3火山とも直ちに大きな噴火をおこす状況にはないとのことです。


* この地図にはブルサン山は記載されていません。同山の位置はマヨン山の南東、ルソン島の南端部です。


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宇宙飛行士が自転車事故


2月下旬に予定されているスペースシャトル・ディスカバリーの最後のフライトに搭乗し、船外活動をすることになっているティム・コプラ飛行士が、1月 15日に自転車事故で負傷したとのことです:

NASA はプライバシーの観点から負傷の詳細を発表していませんが、今回の負傷によって船外活動などの任務に支障を来すことがないか検討しています。一部の報道によれば、コプラ飛行士のケガは「股関節部損傷」であるとの噂が流れているとのことです。コプラ飛行士は、2月下旬に予定されている宇宙飛行で、自身にとって 2度目と 3度目になる船外活動をする予定になっています。

2011年1月16日日曜日

太陽観測衛星「ひので」が見た金環日食


日本では見られませんでしたが、1月 4日にヨーロッパ、北アフリカ、西アジアなどの地域で部分日食が見られました。この部分日食を、日本の太陽観測衛星「ひので」が軌道上で金環日食として観測していました:

太陽と月の中心が少しずれており、月のシルエットからはみ出した太陽の部分が大きすぎて普通の金環日食とはイメージが違います。

日食の定義からいえば、「ひので」が月の本影に入っているので金環日食か皆既日食しか選択肢がなく(半影の部分に入っていれば部分日食)、月が完全に太陽を覆い隠しているわけではないので皆既日食とは言えない、よって金環日食と呼ばざるを得ないというところでしょうか。もう少し月の視直径が小さければ、水星や金星が太陽の前を横切るときに使われる「日面経過(通過)」という言葉の方がしっくりするかも知れません。


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朝鮮半島の地震減少


2010年に朝鮮半島で発生した地震(内陸+海域)は 42回で、2009年の 60回に比べて減少したとのことです:

昨年 12月 24日付 「地震がないはずの韓国で大きな地震が増えている」 で紹介した『日経ビジネス』誌の記事では 「2009年には80回以上」 となっており、上記記事とは数字が食い違っています。

2010年の減少は一時的なものなのでしょうか。地震の総数は減少しても、大きな地震の数は増加しているという長期的な傾向は変わらないようです。

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2011年1月15日土曜日

メガマウス捕獲 ― 三重県尾鷲市沖


1月 14日、三重県尾鷲市沖の定置網の中でメガマウス写真)が泳いでいるのが見つかりました:

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南海地震の前兆


高知県在住で「池谷・関彗星」を含む 6つの新彗星と約 1500の小惑星を発見し、現在は東亜天文学会の会長をつとめるアマチュア天文家の関勉(せき・つとむ)氏の回想録が、『毎日新聞』の高知版に連載されています。その中に、1946年 12月 21日に起きた昭和南海地震(M8.0)の経験に触れた部分があります:

南海地震の前兆と思われる現象について以下に抜粋します:

▼戦争中から海底隆起が顕著だった
中学生になると流石(さすが)に大戦下ということで遠足に行くことも少なくなり、服装も国防色の正服となり、戦闘帽をかぶり、軍隊式の“行軍”で歩いて桂浜まで行きました。しかし、このころ迫り来る大地震の前兆とも言える海底の隆起が、顕著に浦戸湾付近に見られるようになっていたのでした。

▼あっ! 海がない!
(1946年の暮れ頃、敗戦後の食糧不足を補うために夜釣りに加わったときのこと)
この夜、漁が少ない上に、それまで経験したことがないような、実に奇怪な現象が起こったのです。何だか川が浅く、この日に限って魚がいないのです。ついに夜を徹して浦戸湾に近い河口にまで達したのですが、先頭を歩いていた父が突然、前方を指さし、「見ろ、あれは何だ!」と叫んだのです。
「あっ! 海がない!」。私も叫びました。暗い浦戸湾の上には、星明かりが暗黒の入り江の姿を幽(かす)かに映し出していました。そのころは、埋め立てられた現在の浦戸湾と違い、入り江がとても広かったのです。干潮の時間とはいえ、海水は完全に引いて、黒々とした海底の土が高く盛り上がって、実に奇怪な景観を展開しているのです。「これが浦戸湾だろうか?」と、自分の目を疑いました。

▼1年前に南海地震を予知していた先生
この田村先生で、特筆すべきことがあります。それは昭和南海地震を予言した、ただ一人の先生でした。安政元(1854)年の大震災から、そろそろ100年がやって来ようとするとき、多くの人は地震のことを知らなかったのです。マスコミもニュースや紙面で取り上げません。それも戦時中という特殊な状況の下で、それどころではなかった、ということが実情だったかもしれません。
(中略)
しかし、自然科学も得意だった田村先生は、国語の授業の中でそのことに触れました。室戸岬や浦戸湾の海底が年々隆起しつつあることを説明し、それは最早(もはや)限界に達し、いつ大地震が襲ってきても不思議ではないことを述べ、注意を促しました。私たちは、その事実を初めて知って、大いなる戦慄(せんりつ)を覚えました。
それから正確に1年後、本当に大地震がやってきて、田村先生の予言は見事に的中したのでした。

以上の体験談からすると、南海地震の少なくとも数年前には誰が見てもすぐにわかるほどの隆起が高知県の海岸で起きていたようです。高知県の海沿いに住んでいて地震予知に興味のある方は、定期的に写真を撮ったり、規準を決めて海岸の岬や岩の高さを記録したりすると、アマチュアであっても次の南海地震の襲来を事前に察知できるかも知れません。

以下は地震前兆とは言えませんが、興味深いので抜き書きしておきます:

▼地震時、異様に輝く金星
1946年12月の南海大地震の時、明けの空に輝いていた特別に明るい星は、金星であった事を前に述べましたが、実は私の記憶では、明けの明星より更に明るく異様に大きかった印象があります。しかも薄雲の中にボーッとにじんで、まるで彗星(すいせい)のように不気味に輝いていたのです。私は正直に言って、それは災厄を予言する名も知れぬホウキ星の出現だった、と思っていたのです。
(中略、パソコン上のプラネタリウムで 1946年 12月 21日当時の夜空を再現した結果 ・・・)
意外や意外、明けの空に、金星と、太陽系で一番大きな木星がランデブーしたのです。
これで謎が解けました。金星一つでは到底説明できなかった巨光の犯人は、珍しい二つの惑星が接近して異様な光の情景をかもし出していたのです。大昔、イエス・キリストが誕生した夜、東の空が急に明るくなったという説がありますが、その頃多くの惑星たちがランデブーして、絢爛と夜明け前の空を彩っていたのかも知れません。

昭和の南海地震については今さら言うまでもありませんが、『理科年表』(丸善株式会社)には以下のような記述があります:
被害は中部以西の各地にわたり、死 1330、家屋全壊 11591、半壊 23487、流失 2598。津波が静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・三重・徳島沿岸で 4~6m に達した。(中略) 高知付近で田園 15km² が海面下に没した。

なお、南海地震の前兆については 2009年 12月 5日付「孕(はらみ)のジャン」も是非お読みください。


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2011年1月14日金曜日

月虹、火球、オーロラ


オーロラを背景に、月虹や火球が写っています:

エトナ山から溶岩流出 ― イタリア


ブーツの形をしたイタリア半島(アペニン半島)のつま先で、蹴飛ばされかけている小石のようなシチリア島。そのシチリア島の東部にあるエトナ山(Etna、地図)は、アイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル氷河の火山と同じく昨年 4月頃から活発化の兆候を見せ、秋頃からはストロンボリ式噴火を繰り返すようになっていました。

そのエトナ山で 1月 12日、南東火口で噴火とともに溶岩の流出が始まり、近隣の空港も一時閉鎖されました:

エトナ山は、翌 13日には小康状態にもどっているとのことです。しかし、上記記事に掲載されている写真を見るとわかるように、山麓には比較的大きな都市があるので、今後の展開によっては避難が必要になるかも知れません。

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2011年1月13日木曜日

エルタアレ山から溶岩流出 ― エチオピア (補足)


昨年12月6日付の記事「エルタアレ山から溶岩流出 ― エチオピア」で取り上げたエルタアレ山が、1月8日に TBS系で放映された『世界ふしぎ発見!』で 「地球の内部をのぞける“地球の窓”」 として紹介されました:

番組ではエルタアレ山の遠景も写っていましたが、粘性の低い溶岩によって形成された非常に平たい山体が印象的でした。番組が収録された時期がわからないので、映像からは昨年の溶岩流出の影響を確認することはできませんでした。ただ、現地人のガイドが 「火口の位置が以前来たときとは変わっている」 と語っていたことが記憶に残っています。

レポーターの坂本三佳さんが、気温が 40度をこえ、ときにはガスマスクを着けなければならない炎熱の地で、10日も入浴できないことに耐え、いつも笑顔を絶やすことがなかったのはすごいと思いました(映像に映っていないところでは、相当につらい表情も見せていたのかも知れませんが)。現地の人たちともすぐにうち解けられるのもうらやましい限りです。私にも似たような経験が何度かありますが、現地人のガイドたちとはなかなかうち解けられませんでした。

上記の番組内容の情報はもっと早く紹介したかったのですが、番組サイトのメイン・ページに載っている間は暫定的なリンクアドレスしかないので、「バックナンバー」の項に移されてパーマネント・リンクアドレスが付与されるのを待って紹介した次第です。


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2011年1月12日水曜日

黄海南部で M5.0 の地震


12日午前10時20分頃、黄海南部で M5.0 の地震があり、上海でも揺れを感じたとのことです:

現時点で USGS の発表は、中国側の発表に比べて、震央の位置が南西にずれています。また、震源の深さも中国側が 10km としているのに対して、18.5km としています。

USGS の数値で計算すると、今回の地震の震央は五島列島の西約 510km となります。

相模湾沖に 「極彩色の炎」


まだネット上には掲載されていないようですが、今朝の『朝日新聞』第 2神奈川面に 「極彩色の炎」 というタイトルのカラー写真が掲載され、「灰色の雲と水平線との間にまっすぐ上る極彩色の炎のようだった」との感想がつけられています。1月 6日夕方に真鶴半島から相模湾を撮影した写真で、水平線から虹色の炎のようなものが立ちのぼっているように見えます。

横浜地方気象台は 「実物を見ていないので断定できないが、虹は条件によって変形する。立ち上がって見えることもある」 と解説しているとのこと。空気中の雨滴の分布や雲の配置によっては、本来半円形あるいは円弧状であるはずの虹の一部分しか見えないことがあります。この写真は、そのようなケースを捉えたものだろうと思います。


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2011年1月11日火曜日

「宇宙のお化け」をハッブル宇宙望遠鏡が撮影


まず、下の記事にある写真(クリックすると拡大)をご覧ください。ギャラクシー・ズー・プロジェクトに参加して銀河の分類作業をしていた一般人が、2007年に発見した謎の天体です。不規則な形をしたスライム状の何かが、ぼんやりとした緑色の光を放っています:

ギャラクシー・ズー・プロジェクトは、インターネットを利用して一般からの参加者を募り、写真に撮影された膨大な数の銀河を整理・分類するプロジェクトです。「宇宙のお化け」は、このプロジェクトに参加していたオランダの高校教師 Hanny van Arkel さんが発見したもので、Hanny's Voorwerp と呼ばれています (Voorwerp はオランダ語; 英語では Hanny's Object)。

Hanny's Voorwerp は新種の天体である可能性があり、専門家が 「当初は、一体何なのかまったくわかりませんでした。太陽系内の天体なのか、それとももっと遠い宇宙の片隅に存在する天体なのかさえも、わかりませんでした。実際に観測してみても、やはりなぞの天体です」 と語るほど謎めいた天体です。

このほど、ハッブル宇宙望遠鏡がこの謎の天体に向けられ写真が撮影されました。以下は、公開された写真の数々です:

Hanny's Voorwerp のそばに写っている渦巻き銀河は IC 2497 で、地球から 6億 5千万光年の彼方にあります。Hanny's Voorwerp は、この銀河を取りまくように漂っている全長 30万光年におよぶ星間ガスの一部分が光っているもので、IC 2497 の核から 4万 4千~13万 6千光年の距離にあります。

IC 2497 の核は、かつてブラックホールをエネルギー源とするクエーサーとして強力なエネルギーを放っていましたが、天文学的にはつい最近(過去 20万年以内)、明るさが 100分の 1以下に落ち、通常の銀河の核のように見えるようになったと考えられています。このクエーサーの発するサーチライトのようなビーム状の光が Hanny's Voorwerp の方向に向いていたため、星間ガス中の酸素原子が励起され緑色の光を放っているのだそうです。

Hanny's Voorwerp には、大きな黒い孔がぽっかりと口を開けています。この孔の直径は 2万光年ほどあり、ハッブルの撮影した写真では、縁がかなりシャープです。この孔は、クエーサーのそばにある何らかの物体の影だと考えられています。

2011年1月10日月曜日

動物の大量死 続く


1月 4日付「鳥の落下と魚の大量死 ― アーカンソー州」と 1月 6日付「鳥の落下・大量死 広がる」の続報です。その後も、世界各地で動物の大量死が報じられています。

イタリア北部では 1月初めから 1千羽を超えるハトの落下が起きています。これまでに回収された死骸は 8千羽との報道もあります:

落下したハトの死骸は花壇の中に積み重なっていたり、道路で車にひかれていたり ・・・ さらに気味の悪いことには、木の枝からクリスマス・ツリーの飾り付けのようにぶら下がっていたりしているとのことです。死んだハトのほとんどはキジバト(turtle doves)ですが、他の種類のハトも混じっているとのこと。

死骸に共通しているのは、クチバシの内側に青色の染みがあることで、これは毒物の摂取や低酸素症のときに現れる症状だそうです。

ある地元紙は次のように書いています: 「(ハトの大量落下は) 毒か病気が原因でありますようにと祈ろうではないか。その方がこの世界の終末が近づいている場合よりは、対応が容易そうだから。」

あまりにもたくさんの大量死が報道されていて、何がどこで起きているのかわかりにくくなっています。『朝日新聞』の記事には、これまでに起きた大量死の場所を示す地図が掲載されています:

もう少し詳しい地図がイギリスの『Daily Mail』紙の記事に掲載されています:

さらに包括的な情報をグーグル・マップ上に示した地図があります。地図上のマークをクリックすると、発生した現象の簡単な説明や情報ソースが吹き出しで表示されます。日本にも一つ、大量死のマークがついています:

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2011年1月9日日曜日

卯年に起きた大惨事


リンクを張ったり引用したりするのは少し気恥ずかしい雑誌ですが、『週間実話』に以下のような記事が掲載されています:


一部引用すると ――
「そもそも、卯年は大政奉還(1867年=慶応3年)があり、世の中がひっくり返った年。他にも直後の龍馬暗殺(同)、明治に入り警官がロシア皇太子を切りつけた大津事件、初の衆議院解散(1891年=明治24年)。昭和はノモンハン事件(1939年=昭和14年)、マッカーサー解任('56年=同26 年)など、日本の政治を揺るがす大事件が立て続いています。2011年も菅退陣だけではすまず、一気に政界再編が進むでしょうね」
残念ながら卯年は歴史的な大災害や事故の当たり年なのだ。幕末には江戸の町を襲った安政大地震(1855年=安政2年)が発生、1783年(天明3年)には日本の火山災害で最大規模の浅間山大噴火が起きている。明治以降も死者7000人以上が犠牲となった濃尾大地震(1891年=明治24年)や、同3000人の丹後地震(1927年=昭和2年)が発生。火山も伊豆大島の三原山が山容を変える大爆発('51年=同26年)を起こした。
―― とのことです。


この種の記事を読むとき留意すべきは、記事のトーンに煽られていたずらに不安にかられることなく、冷静に懐疑的なスタンスを保つことです。「なるほど卯年には大事件や大災害が起きているようだ。でも、他の年はどうなのかな?」と疑問を持ち比較することです。

歴史的な大事件では、たとえば、乙巳の変(大化の改新)は巳年、白村江の戦いで日本が唐の水軍に大敗したのは亥年、2度の蒙古襲来は戌年と巳年、征夷大将軍・足利義教が誘殺された嘉吉の乱は酉年、応仁の乱は亥年、桜田門外の変は申年、蘆溝橋事件で日中戦争が始まったのは丑年、東京大空襲、広島と長崎への原子爆弾投下、日本の敗戦は酉年、などなど。

自然災害についても、宝永の南海・東海地震と富士山噴火は亥年、関東大震災と阪神淡路大震災は亥年、全島民島外避難に至った伊豆大島の噴火は寅年、室戸台風は申年、洞爺丸台風は申年、伊勢湾台風は亥年、などなど。

歴史年表をひもとけば、卯年だけではなく、たとえば辰年でも亥年でも同じような記事が書けることでしょう。

2011年1月7日金曜日

アイスランド南部で地震急増

Image Credit: Icelandic Meteorological Office

現地時間 1月 5日の夜から、アイスランド南部のエイヤフィヤトラヨークトル(Eyjafjallajökull)氷河とカトラ山のあるミュルダルスヨークトル(Mýrdalsjökull)氷河一帯で地震が急増しています:

専門家は、これらの地震がエイヤフィヤトラヨークトル氷河での噴火が復活する兆しとする見方を否定しています。

エイヤフィヤトラヨークトル氷河では、1月初め頃から地鳴りのような轟音や爆発音のようなものが聞こえるとの報告が地元住民から寄せられています。氷河の下で噴火が再開したのではないかとも考えられますが、観測データにはそのような変化は現れていないようです:

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2011年1月6日木曜日

鳥の落下・大量死 広がる

このブログの 1月 4日付記事 「鳥の落下と魚の大量死 ― アーカンソー州」 の続報です。12月31日から 1月 1日にかけて米国・アーカンソー州で起きた鳥の落下・大量死ですが、その後、ルイジアナ州、ケンタッキー州、イリノイ州、さらにはスウェーデンにまで広がっています:

管見の限りでは、これまでに死んだ野鳥から鳥インフルエンザ・ウィルスが検出されたとの報道はありません。

下記の記事によると、鳥類や野生生物の大量死はそれほど珍しい現象ではなく、米国では昨年後半(6月から 12月 12日までの集計)だけで 90件の記録があるとのことです:

私が思い出すのは、一昨年(2009年)の夏に日本で起きた「空からオタマジャクシが降ってきた」騒動です。それまでにも起きていたさほど珍しくない現象がひとたびメディアに取り上げられると、その現象はニュース・バリューがあるという認識が広まって一般からメディアへの通報が増え、それがメディアの報道を過熱させ、さらに一般からの報告が増える ・・・ という循環が起きていたように思います。今回の鳥類の大量死の件や、昨年末に神奈川県で起きた「黒い砂・粉末が降ってきた」件にも相通ずる点があるように思います。


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1月 4日の部分日食

先日の記事「近日点通過」で触れた部分日食の写真です:

中東のオマーンで撮影されたものです。写真をクリックすると拡大します。

太陽面の中央部と右下に写っているのは黒点、左上は国際宇宙ステーションのシルエットです。


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2011年1月4日火曜日

ポーランドで地震、死者 3人

年末から年始にかけて、イギリス、ドイツ、アメリカ・インディアナ州など、めったに地震の起きない地域で有感地震が発生しています。

ポーランド南西部では 12月 30日、小規模な地震によって銅鉱山で落盤が発生し、3人が犠牲になっています:

震源の深さは 1km で、半径 20km の地域で揺れが感じられたということです。鉱山の採掘が原因で起きた地震なのか、あるいは天然の地震なのかは、情報が少なく不明です。


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近日点通過

本日午前 3時 32分、地球はその公転軌道上で太陽に最も近い点(近日点)を通過しました。地球は毎年 1月に近日点、7月に遠日点を通過します。今日空に見える太陽の直径は、遠日点のときよりおおよそ 3% ほど大きいとのことです。

今日の地球は、今年 7月 4日の遠日点通過のころに比べて約 500万km も太陽に近いところにいます。500万km は、地球から月までの距離の約 13倍です。

そして、奇しくも今日は新月です。地球-月-太陽がほぼ直線上に並んでいます。日本では見られませんが、ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアなどの地域で、日本時間の午後 4時ごろから部分日食が始まっています。


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鳥の落下と魚の大量死 ― アーカンソー州

米国南部・アーカンソー州では昨年来、小規模ながら地震が連続していますが、大晦日から新年にかけて、たくさんの鳥が空から落下し、川では魚が大量に死ぬという気持ちの悪い事件が起きています:

原因はわかっておらず、さまざまな仮説が出されています:

陰謀・隠蔽パラノイア(妄想症)の面々にとっては、新年早々おいしいご馳走が降って湧いたようなもので、好き勝手な妄想を開陳しているようです。以下の記事はそれらを批判的に紹介しています:

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イトカワはどこだ?

以下は、探査機が接近したり着陸したりしたことのある小惑星と彗星の写真を、アメリカの惑星協会が 1枚にまとめたものです。画面上の各天体の大きさは、実際の大きさに比例しています。日本の探査機「はやぶさ」が着陸した小惑星イトカワも写っているのですが、見つけられるでしょうか?:

上記写真の中で一番大きな小惑星はルテティア(21 Lutetia)です。ESA(欧州宇宙機関)の探査機ロゼッタが昨年(2010年)接近し撮影したものです。ロゼッタは 2014年にチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星に着陸することを目指しています。

ルテティアのすぐ左にある芥子粒のような天体がイトカワ(25143 Itokawa)です。これまでに探査機が訪れたことのある小惑星の中では最小です。

画面左上は小惑星・イダ(243 Ida) 。その右の小天体はダクティル(Dactyl)で、衛星としてイダの周囲を回っています。小惑星が衛星を持っていることが確認された最初の事例です。イダの周囲に衛星が発見されたとき、アメリカではその衛星の名前を “Ho” にしてはどうかという提案が冗談半分に出されました。2つの天体を合わせて “Idaho” という州の名前にしたいということでした。

ルテティアの右下には、彗星(の核)がまとめられています。一番大きいのが皆さんご存知のハレー彗星(1P Halley)です。

今年 8月には、アメリカの小惑星探査機ドーン(Dawn = あかつき、2007年打ち上げ)が 4大小惑星(準惑星・ケレスを含む)の一つ・ベスタに到着します。ベスタは他の小惑星と違って、内部に核やマントルがあると推定されているので、ドーンが送ってくる写真には興味深い地形が写っているかも知れません。

上記写真の中で最大のルテティアは直径約 96km、ベスタは約 500km です。ベスタを入れた写真が作られたあかつきには、イトカワは 1画素にもならないかも知れません。

ドーンは、日本の小惑星探査機「はやぶさ」と同様のイオンエンジンを搭載しており、ベスタを観測した後は再びイオンエンジンに点火して次の目標である準惑星ケレスとの邂逅を目指します。ケレスには 2015年に到着する予定です。

ケレスは小惑星帯最大の天体です。かつては小惑星に分類されていましたが、2006年に「惑星」の再定義がおこなわれ冥王星が惑星から準惑星に格下げされた際に、小惑星から準惑星に格上げされました。

ドーンは、ケレスの観測が終わった後、小惑星帯に永久にとどまる史上初の人工物となることになっています。


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