2009年10月30日金曜日

口永良部島の警報解除

鹿児島県の口永良部島について、気象庁が 30日付で「噴火警戒レベルを 2(火口周辺規制)から 1(平常)に引下げ」と発表しています:
火山性地震は 9月 30日以降は少ない状態で経過、火山性微動は 10月 7日以降観測されていない、新岳火口浅部の膨張を示す変化は認められていない、とのことです。

火山性微動」と狭義の「火山性地震」を混同しているブログなどもあるようです。注意しましょう。

口永良部島の位置や概要については以下の資料を参照してください:

鳩山首相の所信表明演説と「地震」

26日に行われた鳩山首相の所信表明演説を、首相官邸のサイトで読むことができます。
私の感想は、「長すぎる」、「理念が上滑りしている」というところです。「具体的内容がない」という批判もあるようですが、所信表明が目的なので、事細かに具体的な施策を語る必要はないと私は思います。

ところで、この長~い演説の中で、例の気色の悪い「友愛」という言葉は 4回しか出てきていません。少し意外でした。

「地震」という言葉は、3回使われています。以下に、その部分を引用します。

海外との関係に触れた部分で:
 アジア太平洋地域は、その長い歴史の中で、地震や水害など多くの自然災害に悩まされ続けてまいりました。最近でもスマトラ沖の地震災害において、日本の国際緊急援助隊が諸外国の先陣を切って被災地に到着し、救助や医療に貢献しました。世界最先端レベルと言われる日本の防災技術や救援・復興についての知識・経験、さらには非常に活発な防災・災害対策ボランティアのネットワークを、この地域全体に役立てることが今後、より必要とされてくると思っております。
「むすび」の部分で:
 地震列島、災害列島といわれる日本列島に私たちは暮らしています。大きな自然災害が日本を見舞うときのために万全の備えをするのが政治の第一の役割であります。
 また、同時に、その際、世界中の人々が、特にアジア近隣諸国の人々が、日本をなんとか救おう、日本に暮らす人々を助けよう、日本の文化を守ろうと、友愛の精神を持って日本に駆けつけてくれるような、そんな魅力にあふれる、諸国民から愛され、信頼される日本をつくりたい。これは私の偽らざる思いであります。
海外で災害が起きたときには積極的に助けに行こう、日本に災害が起きたときには海外の人たちがすすんで助けに来てくれる国になろうということで、まさに「友愛」の精神です。

閣内には日本社会党の流れをくむ社民党の大臣も入っています。国内の大災害に際して、くれぐれも阪神大震災当時の社会党・村山内閣のような批判を招かないようにしてほしいものです。

2009年10月29日木曜日

安政東海・南海地震の伝承

徳島新聞』では、2007年から「阿波の民話」を連載しています。その 1016回目の記事に、安政元年 11月 4日から 5日(1854年 12月23日から 24日)にかけて、32時間の間隔で連続して発生した「安政東海地震」(M8.4)と「安政南海地震」(M8.4)当時の記憶が語られています:
記事から、安政元年は大火や大地震が多かったこと、「安政東海地震」と「安政南海地震」の前後や間も、大小の揺れがひっきりなしに続いていたことがわかります。

揺れの大きさは、「庭の木の先も土地を掃き、鶏は庭を転げ」と描写されています。また、「中林山下の蕨石の洞穴は何十里も聞こえたほどの鳴りようじゃった」と書かれています。地震のときに洞窟が鳴るとは、どのようなメカニズムなのでしょうか。洞窟内の地下水が揺れることによって、洞窟内の空気が激しく出入りすることが原因なのかも知れません。あるいは、地鳴りの振動に洞窟内の空気が共鳴したのかも知れません。

駿河湾の地震についてあれこれ (その 8)


被害のまとめ


この地震についての基本資料


相前後して発生した地震の資料

過去の関連記事

(完)

駿河湾の地震についてあれこれ (その 7)


ほぼ同時に起きた大地震


駿河湾の地震に先立つこと約 11分、インド洋東部のアンダマン諸島の沖合で M7.5 の大地震が発生しています:
アンダマン諸島の地震波は、発生から 8分 40秒後に駿河湾の震源域を通過し、その 2分 40秒後に駿河湾の地震が発生しています。以下の記事では、このアンダマン諸島の大地震による揺れが駿河湾の地震を引きおこしたのではないか、との疑問が検討されています。USGS の地球物理学者は、2つの地震の関連性を否定しています。
複数の地震が短時間のうちに発生すると、地震波が重なって解析が困難になるようです。駿河湾の地震は、アンダマン諸島の大地震でまだ地面が揺れている最中に発生したため、地震波の解析に制約があったようです。『NGY地震学ノート』には、「この地震の12分前にアンダマン諸島でM7.6の地震が起きていたため,その表面波に隠れて遠地実体波解析はできませんでした」と書かれています。


過去の関連記事

(続く)

2009年10月28日水曜日

秋田駒ヶ岳に噴火予報・警報

27日(火)に気象庁が、秋田駒ヶ岳に対して「噴火予報・警報 第 1 号」を出しています:
「ただちに噴火する兆候は見られませんが、女岳(めだけ)北東斜面でわずかな地熱の高まりが認められることから、今後の推移に注意する必要があります」とのことです。

下記日本テレビの報道によると、噴火警戒レベルがつくのは秋田県内の山では初めてだそうです:

土星環の消失 (その 5)

カッシーニ探査機のミッションは、当初 4年間と設定され、2008年 6月に終わることになっていました。しかし、探査機の状態が良いこと、科学的に大きな成果を上げていること、2009年の土星と太陽や地球との 15年に 1度の特別な位置関係は千載一遇の好機であることなどを考慮して、2010年 9月までの延長が認められ、予算が付けられました。

現在 は、さらにミッションの期間を延長することが検討されています。もし、延長が認められれば、カッシーニ探査機は 2017年まで土星周回軌道にとどまって観測を続けます。その後、これまではリスクが高いとして避けてきた環の内部に入り込む軌道をとって観測をおこな い、最終的には 2017年 9月 15日に土星の大気圏に自ら突入して、使命を終了することになります。

太陽から遠い土星近傍では、太陽の光が弱く太陽電池では出力が不足するため、カッシーニ探査機には原子力電池が搭載されています。この電池には放射性物質が使われているので、カッシー ニが土星大気圏に突入し消滅すれば放射能汚染を引きおこすことになります。しかし、土星大気の全質量に比べれば無視できるほどの量ということで、問題には ならないということのようです。

(完)

土星環の消失 (その 4)

今回の“The Big Picture” には掲載されていませんが、以下の写真も一見の価値があります。他の画像と同じく、太陽光線が環の真横から当たる時期に撮影されたものですが、F環からトゲのようなものが突き出ています:
2 枚の画像が上下に並んでいますが、下の画像は上の画像の明るさを調整して環と影を見やすくしたものです。

環に対して傾斜した軌道をもった何らかの物体が、 下から上に向かって環を突き抜けた瞬間を捉えた画像とのことです。トゲのように見えているのは、環を構成する粒子が物体に引きずられて光っているもので す。

(続く)

土星環の消失 (その 3)

17番の画像に写っているのは、土星の衛星エンケラドスです。南極付近から氷の微粒子のジェットを吹き出しています。

この画像を見て思い出したのは、以前ビデオで見た東宝映画『妖星ゴラス』 です。地球に向かって進んでくる黒色矮星ゴラスを避けるために、南極に巨大なロケットを建設して地球の軌道を変えてしまうという荒唐無稽な筋書きでした。 南極からロケットを噴射しながら移動していく地球の姿が、この写真のエンケラドスに重なります。この映画で、ゴラスの調査に向かい、最後にはゴラスの引力 に抗しきれずにゴラスに吸い込まれてしまったのが、日本の土星探査隊のロケットであったというのも、なにやら因縁めいています。以下は、同映画の見せ場を つなげた動画です:
(続く)

10月 26日という日

2日ほど遅くなってしまいましたが、過去の 10月 26日には、いろいろ興味深い出来事がおきています:
  •  740 東ローマ帝国の首都・コンスタンチノープル(現在はトルコのイスタンブール)で大地震
  •  899 アルフレッド大王崩御
  • 1775 イギリス国王ジョージ III 世が、アメリカ植民地は反乱状態にあると宣言、アメリカ革命(独立戦争)を軍事的に鎮圧することを承認
  • 1879 トロツキー誕生
  • 1881 アリゾナ州・トゥームストーンで「OK 牧場の決闘」発生 (トゥームストーンという地名がスゴイ。墓石という意味です。)
  • 1918 第 1次世界大戦末期のヨーロッパでスペイン風邪が爆発的に流行、1週間で死者 2225人
  • 1947 ヒラリー・クリントン誕生
  • 1951 ウィンストン・チャーチルがイギリスの首相に就任
  • 1965 エリザベス女王がバッキンガム宮殿でビートルズに MBE 勲章を授与
  • 1977 最後の天然痘患者がソマリアで発生(天然痘の根絶)

参考資料

2009年10月27日火曜日

土星環の消失 (その 2)

今年の土星では、約 15年ごとに起こる珍しい現象がありました。8月 11日には、太陽光線が環の真横から当たる現象、9月 4日には環の消失が起こりました。後者は、環の延長平面が地球と交差する、すなわち、地球から見ると環を真横から見ることになるため、非常に薄い(厚さ数 十メートル)環がまったく見えなくなる現象です。

前者の、太陽光線が環の真横から当たるタイミングは、土星の周囲を周回しているカッ シーニ探査機にとって絶好の機会でした。なぜなら、太陽の光が環の真横から当たるということは、ふだんは平面にしか見えない環の表面の凹凸が、陰影によっ てはっきりと見える可能性があるからです。

8番の画像では、環の縁の凹凸が、真横からの太陽光線によってできた長い影によって現れています。9番の画像では、環と環の間を周回する衛星の重力によって、環が乱されている様子が立体的に見えています。

ふだんは平板にしか見えない土星の環ですが、15番20番の画像では、真横からの太陽光線によって粒状性が現れています。15番の写真中央部に見えている小さな光点は、環から 200m 離れたところを環とともに周回する 推定直径約 400m の小衛星です。

(続く)

土星環の消失 (その 1)

このブログでたびたび紹介している『ボストン・グローブ』紙の “The Big Picture” ですが、4度目の土星特集を組んでいます:
まず、なにはともあれ 21番の動画を見てください。 土星には、内側から順番に D環、C環、B環、A環、F環、G環、E環がありますが、そのうちの F環をカッシーニ探査機が撮影した映像です。F環が、その内側を通過する衛星の重力によって大きく揺らぐ様子を連続して捉えています。まるで、ワープ航法の宇宙船が空間を歪めながら飛行しているようです。衛星が通過した後も、F環は波打っているようです。

4番11番は同じ現象の静止画です。

F環の内側の衛星はプロメテウス、外側の衛星はパンドラと名付けられています。さらに、F環の内部を周回する衛星も写っていますが、暫定的な識別番号だけで、正式の命名はされていないようです。

(続く)

ルーマニア上空の異様な雲

今月 12日付「モスクワ上空の異様な雲」で紹介したものと類似した雲が、今度はルーマニアの上空に現れました:
モスクワのものに比べると、形がいびつで規模も小さいように見えます。上記イギリス『テレグラフ』紙には、このような現象は “fallstreak hole” と呼ばれるとして、その成因が説明されています。記事の説明はややわかりにくいので、以下にウィキペディアの “Fallstreak hole” の項目から抜粋・翻訳します:
“fallstreak hole” は、巻積雲や高積雲の中に現れる大きな円形の穴である。

“hole punch cloud” あるいは “punch hole cloud” とも呼ばれる。

雲の中の水分の温度が氷点下に下がっても、氷の結晶の核となる微粒子がないために、凍結せず過冷却状態になることがある。このような状態の雲では、どこか一か所でも(核となる微粒子が現れるなどして)凍結が始まると、そこを中心にして連鎖反応的に凍結が拡大する。

凍結した水分(つまり氷の微粒子)は、密度が高いので地表に向かって落下し、雲のその部分に大きな、しばしば円形の穴を残すことになる。
類似事例の画像が、以下に多数あります:
以下は、NASA の Earth Observatory のページに掲載されている写真です:
1枚目の写真は、米国・ルイジアナ州からテキサス州にかけての空に現れた多数のパンチ・ホールを、人工衛星から撮影したものです。細長い溝状の穴は、航空機によって過冷却状態の雲がかき乱され、氷結・落下した跡です。2枚目の写真は、地上から写したパンチ・ホールです。穴の中心部で、雲粒の降下がおきている様子が見て取れます。

駿河湾の地震についてあれこれ (その 6)


気圧変動


この地震では、地震動に伴う気圧変動が観測されています:
東京大学地震研究所の西田究助教が計測したもので、「地動に対応する気圧変動が約 3km/秒の速度で伝搬する様子」がグラフに現れています。

注意していただきたいのは、今回観測されたのは「震動→気圧変動」であって、「気圧変動→地震」ではないという点です。すでにこの点を勘違いや拡大解釈している掲示板やブログがあるようで、困ったものです。以下は上記の計測結果を伝える毎日新聞の記事ですが、これを読んでも上記のような拡大解釈が成り立たないことは明らかです:
記事から上記のポイントに関わる部分を引用します:
▼ 震源から秒速 3 キロで地震の表面波が広がる際、地面の揺れが気圧を変化させる様子を、東京大地震研究所の西田究助教(地震学)が精密に計測することに成功した。

▼ 西田助教は、地震とは異なる地球の微小な震動を研究対象としている。

▼ 気圧の微妙な変化が地球を震動させる原因の一つとみて、 (略)  観測を続けている。
記事でわかるのは、西田助教は「地震とは異なる地球の微小な震動」(常時地球自由振動といいます)を研究対象としていて、その地震とは異なる微小な震動の原因が「気圧の微妙な変化」(つまり、気圧→震動)とみて観測を続けていたところ、その観測の副産物として今回の地震動が気圧の微弱な変動を起こしていること(つまり、震動→気圧)を捉えた、ということです。

この「地震とは異なる地球の微小な震動」には、周波数や波形が異なるいくつもの種類があり、色々な研究結果が発表されています。以下は最近発表された論文の解説記事です:

過去の被害地震

今回の震央と近い位置で 1800年以降に起きた被害地震を、理科年表から拾い出してみました。たまたまだとは思いますが、今回の地震も含めて、春から夏にかけての時期に発生が偏っています:

▼ 1841年 4月 22日 (35.0N、138.5E、M6.3) (『天保久能山地震』) 駿府城の石垣崩れ、久能山東照宮の堂・門など破損。江尻、清水辺で家や蔵の壁が落ち、地裂け、水吹き出す。美保の松原の砂地が 2千坪ほど沈下。

▼ 1857年 7月 14日 (34.8N、138.2E、M6.3) 田中城内で被害。藤枝・静岡で強くゆれ、相良で人家が倒れた。

▼ 1917年 5月 18日 (35.0N、138.1E、M6.3) 死者 2。煉瓦塀・煉瓦煙突の被害が多かった。

▼ 1935年 7月 11日 (35.0N、138.4E、M6.4) 『静岡地震』 静岡・清水に被害が多く、死者 9、住家全潰 363、非住家全潰 451。清水港で岸壁・倉庫が大破、道路・鉄道に被害。

▼ 1965年 4月 20日 (34.9N、138.3E、M6.1) 『1965年静岡地震』 死者 2、負傷者 4、住家一部破損 9。清水平野北部で被害が大きかった。 (なお、この地震から 3か月半ほどたった 8月 3日から、長野県北部で『松代群発地震』が始まっています。)


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(続く)

2009年10月20日火曜日

バヌアツの火山が活発化

先月末の サモア、インドネシアに続いて、今月 8日にマグニチュード 7.8(気象庁発表、USGS は 7.6)の大地震があったバヌアツで、火山の活動が活発化しています:
報道には火山の名前が 2つ出てきます。“Gaua volcano” と “Mount Garet volcano” です。この 2つが同一の火山を指しているのか、別々の火山を指しているのか、今ひとつ明確ではありません。現在、スミソニアン研究所と USGS が提供している火山カタログにアクセスできない(サーバーのメンテナンス中?)ので、確認できずにいます。察するに、バヌアツ共和国の北部にある Gaua 島に大きな火口湖(カルデラ湖?)があり、その湖の中にそびえている火山が Garet 山ということのようです。

Gaua 島の地形は、以下のグーグル・マップで見ることができます:
この火山は 9月の下旬から活動活発化の兆候を見せていたとのことです。今月 8日の M7 級地震の前兆であったのかも知れません。現在、火山ガスや火山灰を吹き出しており、住民は降灰による被害をうったえています。警戒レベルは、5段階の下から 2番目に引き上げられたところです。

この火山は、1973年から 1974年にかけて噴火し、島の住民は数ヶ月間の避難生活を強いられたとのことです。

2009年10月18日日曜日

サケガシラ捕獲 ― 北海道・白老町

今月13日、北海道・白老町の海岸で、深海魚のサケガシラとみられる魚が釣り上げられたとのことです:
白老町は、先月湯柱の噴出があった登別温泉から、海岸づたいに 20km ほど北東に行ったところにあります。登別と苫小牧のほぼ中央に位置しています。

登別温泉の湯柱噴出の件は、以下の記事を参照してください:

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自然科学の基礎知識

地震前兆関係のブログや掲示板、地震に関するトンデモ本などを見ていると、自然科学の基礎知識が欠落しているのでは、と思われる誤謬や誤解にしばしば出くわします。たとえば、電磁波の基本的な性質を無視していたり、専門用語や「専門用語もどき」を誤用・濫用することなどは日常茶飯事です。そういう人たちに試してもらいたい小テストを紹介します。

以下のサイトは英語ですが、自然科学の分野から基礎的な 12 の質問が出されます。答えは選択肢の中からマウスで選ぶ方式です。“Take the quiz and find out” と書かれているところをクリックすると、最初の質問が表示されます。すべての質問に答えると、あなたの得点や全回答者の中での位置づけなどが表示されます:
平均正答数は以下のとおりです:
男性    8.1
女性 7.4

18-29歳 7.5
30-49歳 8.5
50-64歳 7.8
65+歳 6.5
全 12 問中、正答率の低い下位 4問 は以下です:
10番(正答率 54%) ― 抗生物質は細菌と同様にウィルスも殺す。
  • 正しい
  • 誤り
6番(正答率 52%) ― 幹細胞(ステム・セル)は他の細胞とどこが違うのか?
  • 幹細胞は多くの異なったタイプの細胞に変化することができる。
  • 幹細胞は骨髄にだけ存在する。
  • 幹細胞は植物にだけ存在する。
9番(正答率 47%) ― レーザーは音波を収束させることによって機能する。
  • 正しい
  • 誤り
11番(正答率 46%) ― 電子は原子より小さい。
  • 正しい
  • 誤り
私が一番難しいと感じたのは 1番の「処方箋なしで買える心臓発作の予防薬」を選ぶ問題でしたが、その正答率は 91% で、上記の 4つには入っていません。

ちなみに、私は全問正解でした(自慢)。全問正解は全参加者の 10% です。

(注)上記の正答率などの数値は、私が回答を終えた時点で集計されたものです。その後の参加者の正答率、性別、年齢分布などによって変化する可能性があります。

電線から火花の出る事故が頻発 ― 静岡県

17日昼から夕方にかけて、静岡県の中部・西部で電線から火花の出る事故が、通報があっただけで 130件におよんだとのことです:
原因は、今月 8日に上陸した台風 18号が通過する際に、海からの潮風で電線に塩分が付着し絶縁性が低下、17日の雨でショートしたと考えられています。しかし、なぜ台風の最中にはショートしなかったのか、なぜ他の海沿いの場所ではおきていないのか、疑問が残ります。この現象が発生した地域では、台風の時には強風だけで、雨は降らなかったのでしょうか。

同じ現象は、過去にも台風の後に何度かおきています。以下は、かつて『地震の前兆現象研究メイン掲示板』(「風見 鶏」改め「喜平が畑とんぼ」氏が運営、現在は休止中)に投稿された報告です:
[4509] 付けたし 投稿者:宮城市内 投稿日:2005/09/14(Wed) 00:13

あと一昨日にうちの町だけ、夜中に電線が数十ヶ所いっきに火花がちり消防や何やらですごかったんですが、それは台風14号の影響の海風による塩害という事でしたが、それなら何故うちの町だけ?それもいっきに数十ヶ所で?と不思議に思い、これも電磁波とかの前兆では?と…。どう思いますか?

2009年10月17日土曜日

ロマ・プリータ地震から 20年

20年前の 1989年 10月 17日午後 5時過ぎ(現地時間)、アメリカ西海岸のサンフランシスコからモンテレー湾にかけての地域が、強い揺れにみまわれました。米国地質調査所(USGS)の資料によると、震源はサンフランシスコの南南東 96km、サンタ・クルーズの北東 14km にある ロマ・プリータ山(「ロマ」は頂上が平たくなっている丘の意)で、マグニチュードは 6.9、震源の深さ 18km、最大震度 9(12段階の改正メルカリ震度階)。死者 63人、負傷者 3757人、被害総額 60~100億ドル。サンアンドレアス断層の一部が動いたと考えられています。

以下はロマ・プリータ地震に関する資料です:
上記の写真集の中で私の印象に残っているのは、地味ですが以下の写真です。サン・ノゼ南西のロス・ガトスで、道路側溝に設置された金属製の排水目皿が地震によって加わった強い力でゆがんでいます:
ロマ・プリータ地震から 20年が経過したことを契機に、大規模な防災訓練など、さまざまなイベントが企画されています。USGS やマスコミでは、当時の写真や経験談を募集しています。以下は、USGS が経験談の投稿を呼びかけてリンクを張っている Bay Area Earthquake Alliance のサイトです:
以下は、サンタ・クルーズ・センティネル紙に掲載された女性(地震当時 37歳)の経験談です。宏観異常に類する話題も入っています:
以下は記事の概略です:
[赤ちゃんの写真] この赤ちゃんは私たちの命を救ってくれました。

ロマ・プリータ地震がおきた 1989年 10月 17日、私は自分の誕生日を祝うため、ルー・ルー・カーペンターのスナックで 15人ほどの友人とパーティーを開くことにしていました。

10月 17日の午前中は、私はエメリン通りにあるサンタ・クルーズ郡の役所で仕事をしていましたが、同僚がひどい刺すような頭痛に襲われました。彼女は、「地震の前にはいつも頭痛がするの。私が地震を予知できるなんて他の人には言わないでね」と私に小声でささやきました。彼女は、周りの人に、頭がおかしいと思われたくなかったのです。私は、彼女の秘密をその日遅くまで(大地震が起きるまでは)守っていました。

その日は、蒸し暑い日でした。午前 11時ごろ、オフィスの中で数人が集まって、アースクエイク・ウェザー(地震日和)で蒸し暑いんじゃないだろうかとぼやき合い、昔の大地震の話題で盛り上がっていました。

午後になると、同僚は頭痛がいっそうひどくなり、早退してしまいました。私自身も吐き気をもよおすようになりました。船酔いしたような感じでした。私は友人たちに電話して、ルー・ルーの店でのパーティーは中止すると連絡しました。とてもお酒を飲めるような状態ではありませんでした。午後 5時 4分、私たちの世界は激しく揺さぶられました。私は仕事場にいたので安全でした。しかし、ルー・ルーの店の周辺では、建物の中に閉じこめられたり、死んだりした人がでました。

後になってわかったことですが、私が吐き気をもよおしたのは、最初の子どもを妊娠していたからでした。私と友人の命を救ってくれたのは、この赤ちゃんだと思わずにはいられません。
頭痛が地震の前兆であるか否か。疑似相関や確証バイアス・認知バイアスという心理作用によって、本人がそう思い込んでいるに過ぎない場合がほとんどだと私は思っています。

2009年10月14日水曜日

不吉な大統領

昔から中国や日本では、天災や疫病が続くと「御政道が正しくおこなわれていないから」というようなことが言われました。政治を正すために天(天帝)が意思表示として災厄を下しているという考えです。それが実際に革命につながることもありました。
天命が革(あらた)まること。天命をうけた有徳者が暴君に代って天子となること。易姓革命。[広辞苑]
地震、津波、火山噴火、伝染病や人災(いまだに止まらないジャワ島での泥火山噴出など)が続くインドネシアでは、迷信深い人たちの間に、現在のユドヨノ大統領が原因だとの見方がある、と以下の記事(イギリス・テレグラフ紙)は伝えています:
ユドヨノ氏が大統領が就任したのは 2004年 10月です。その就任から間もない 12月、インド洋大津波を引きおこし 22万を超える人たちの命を奪ったスマトラ島沖大地震(M9.3)が発生、その後もさまざまな災厄が途切れることなく続いています。

以下は記事の概略です:
スシロ・バンバン・ユドヨノは、そのイニシャル SBY の方がよく知られているが、彼の誕生日が暗示する「宇宙的な災難」の影に長らく苦しめられてきた。

2004年に彼が選出されて以降、天災と人災が続いている。その中には、アジアの広い範囲で 22万人を超える人命を奪ったインド洋大津波も含まれる。彼のイニシャル SBY は、現地の言葉で “Selalu Bencana Ya” (いつも災い)の意味だと皮肉られている。

数字の「9」は多くの人が不吉だと考えている。彼の誕生日 1949年 9月 9日。最近の大災害は、彼の星回りが悪いことの証明だと多くの人が見なしている。

野党のベテラン政治家で現役のシャーマンである Permadi 氏は、「SBY は、『Primbon』(神秘主義にもとづくジャワの暦)によると、その誕生日が原因で常に災いをわが国に引き寄せている」、「彼の誕生日の数字を見てみるといい。49年の 9月 9日で非常に不吉だ。彼が権力を手放さないかぎり、さらに大きな災い(複数)が起きることだろう」、「ユドヨノが大統領職にとどまるかぎり、より大きな災いが首都ジャカルタを襲うだろう」、「SBY が寛大な心を持っていれば、自ら退陣するはずなのだが」と語っている。

最大級の発行部数を持つ英字紙『ジャカルタ・ポスト』でさえも、災厄と政治家たちの浪費の関連を、日曜版の「神は怒っているに違いない」と題する記事で指摘している。その記事には次のように書かれている ―― 読者が神学的な解釈と世俗的な説明のいずれに同意するにせよ、1100人を超える死者を出した M7.6 の地震は、新たに選出された下院議員と Regional Representative Council(上院?)のメンバーたちのために、数十億ルピアをつぎ込んでジャカルタでおこなわれる就任式の前日に発生した。

インドネシアのメディアは、地震の後に現れた神のシンボルについて伝えている。それらは、虹に囲まれたリング状の太陽や、雲の中にアラビア文字で刻まれた神の御名であった。
日本の歴代総理大臣の誕生日に、ユドヨノ大統領と似たパターンがないか、ざっと調べてみました。「9」がそろっている首相は見あたりませんでした。『昭和 57年浦河沖地震』(M7.1)当時の鈴木善幸首相が「1911年(明治 44年) 1月 11日」、阪神大震災(M7.3)当時の村山富市首相が「大正 13年 3月 3日」なのが目についた程度です。現在の鳩山由紀夫首相は、昭和 22年 2月 11日生まれとのことです。

上記『ジャカルタ・ポスト』紙が伝えている、議員たちの就任式典やパーティーに多額の費用が使われている件、本当に腹立たしい思いです。9月 30日のスマトラ島沖の大地震に対しては、国際機関や国内の組織が募金を始めています。多額の費用を投じて全国紙に募金の広告を出しているところもあります。しかし、善意の募金のどれほどが実際に困っている被災者に届くのか、私は大いに疑問に思っています。これまでの開発途上国での大災害に対する募金では、先進国の国内で人件費や事務経費などの名目でかなりの部分が差し引かれ、被災現地では腐敗官僚や地元の有力者によるピンハネが横行しているため、実際に困窮している被災者に届くのは、募金額の数パーセント程度という報道もあります。

2004年のインド洋大津波では、大量の義捐金や外国政府の支援がインドネシアに届けられました。その後、1~2年前のことだったと思いますが、被災した地域の行政機関が、援助金が余ったとして、地震と津波の記念館(博物館)を建設したという報道がありました。しかし、実際には復興していない地域が残っており、復興したという地域でも、人びとは以前と変わらない耐震性の全くない住宅を再び建てて住んでいる有り様です。(話しがだいぶそれてしまいました。この募金や海外支援の話は長くなるので、いずれ稿を改めて詳しく書きたいと思います。)

2009年10月13日火曜日

イースター島の星空

パソコンの壁紙にしたくなるような情景です。写真をクリックすると拡大します:
右上に見えるのが大マゼラン星雲(Large Magellanic Cloud)、中央部の明るい星がカノープス(竜骨座α星)、左の青白い星がシリウス(おおいぬ座α星)です。イースター島は南緯 27°付近に位置しているので、日本では馴染みのない星座が多く見られます。

カノープスは南極老人星ともよばれ、この星を見た者は長生きができると言われます。中国や日本では、この星が地平線ぎりぎりのところにしか現れず、見ることが困難なため、このような言い伝えができたのだろうと思います。

以下はイースター島の位置(グーグル・マップ)です。まさに絶海の孤島です:

宇都宮の雷発生日数が減少

「今年 8月の宇都宮の雷発生日数は 2日で、統計開始以来 2番目の少なさだった」とのことです:
宇都宮は「雷都」と呼ばれるほど雷の多い所で、昨年の雷発生日数は 15日もあったということですから、激減と言ってよいのではないでしょうか。

気候変動の影響などで、雷雲の発生件数が減ったか、雷雲の通過経路が宇都宮からそれたことが激減の理由かもしれません。あるいは、何でも地震の前兆にこじつける某氏風に解釈すれば、大型地震の震源が新たに浮上(笑)して雷雲がそちらに引きつけられたとでも理解すべきなのでしょうか。

Image Courtesy: National Oceanic and Atmospheric Administration; Image source: Earth Science World Image Bank

携帯電話のテキスト・メッセージで救助を求める

9月30日にスマトラ島沖で発生した大地震では、多くの人が崩壊した建物の中に閉じこめられました。そのような人たちの体験談が数多く報道されていますが、その中には、SMS などの携帯電話のテキスト・メッセージで、身内や知人に自分の閉じこめられている場所を知らせて、救出されたという事例がいくつもあります:
コンクリートや鉄筋を主体とした瓦礫の中に閉じこめられた場合、携帯電話の電波はほとんど遮断されてしまい、音声による通話は不可能になります。微弱な電波が漏洩している場合でも、音声による通話を可能にするほどの時間、継続して携帯基地局との接続を維持することは困難です。しかし、テキスト・メッセージの場合は、せいぜい数パケットを送信する時間だけ基地局との間に接続を維持できればよいので、メッセージが相手に届く可能性が高まります。

かつて、フジテレビ系列が木村拓哉と松たか子の共演で放送した連続ドラマ『HERO』(ヒーロー)でも、携帯電話のテキスト・メッセージで救助を求めるシーンがあったように(かなり不確かですが)記憶しています ―― 船倉に閉じこめられた松たか子演じる検察事務官と、もう一人、誰だったか思い出せない登場人物。携帯電話は通じない。そこで、救出を求めるテキスト・メッセージを打ち込んだ携帯電話にひもを付けて、高いところにある船倉の天窓から外に向かって放り投げては、ひもをたぐって取り戻すことを、メッセージが発信されたことが確認できるまで繰り返す ―― という内容だったと思います。

万が一、大地震で閉じこめられたとき、このような携帯電話によるテキスト・メッセージの性質を思い出せれば、命拾いをすることになるかも知れません。

Dell Adamo XPS

超薄型のノート・パソコンといえば、これまで アップルの MacBook Air が代表格でしたが、ようやく Windows の世界にも対抗馬が現れました。と言っても、まだ発売はされていませんが、Dell が Adamo XPS という機種を開発中です。Dell は小刻みに情報をリークして購買層の関心をそそる作戦のようで、その全貌はまだ明らかになっていません:
良いデザインのノートブックには食指が動きますが、難関はキーの感触です。これまで、数多くの薄型を標榜するノート・パソコンが店頭に並びましたが、実際にキーボードを操作してみて、その安っぽいペコペコしたキー・タッチに失望することの繰り返しでした。特に、私のように数代にわたって IBM の ThinkPad を使用し続け、その良好なキー・タッチになじんできた者にとっては、浅いキー・ストロークや腰のない押し心地は致命的です。これまで公開された Adamo XPS の数少ない写真を見る限り、キーボードの部分は相当に薄く、私の望むようなキー・タッチは期待できないようです。

2009年10月12日月曜日

モスクワ上空の異様な雲

映画『インデペンデンス・デイ』で、エーリアンの巨大な円盤が降下してくるシーンで描かれたような雲のパターンが、先週、ロシア・モスクワ市西部の上空に出現し、話題となっています。以下の記事はいずれも動画を掲載しています:
記事には、モスクワ市の気象予報サービスの広報担当者による説明が掲載されています。一言で言うと、特定の気象条件の下でおきた単なる光学現象ということのようです。以下に同担当者の発言を訳します:
「最近、いくつかの前線がモスクワを通過し、北極の気団も張りだしてきたところに、太陽光線が西から差し込んできた。これがこのような現象を引きおこした。」

「非常に印象的な現象だが、純粋に光学的な効果によるものだ。」

「よく見るとわかるが、太陽光線が問題の雲を透過している。このビデオが撮影されたときには、太陽は沈みかけていた可能性が高い。」

「あなた方が常日頃から雲を観察し続けていれば、このほかにも驚くような現象を目撃するだろう。同じ種類の雲であっても、場所が異なれば実に異なった見え方をするものだ。」
環境保護主義者たちの中には、環境汚染が原因だと非難する向きもあるようです。しかし、気象予報の専門家たちは、「この現象は産業排出物とは関係がない。もし何かが発生するとすればスモッグが発生するだろう。しかし、それは長時間にわたって天候が静穏な場合に限られる。ここのところモスクワでは、風がかなり強い」と否定しています。

この現象は、HAARP や、陰謀論に取り憑かれた人たちに格好の材料を提供するかも知れません。アメリカが HAARP の矛先をモスクワに向けた云々なんて言い出しそうです (sigh)。

2009年10月11日日曜日

期待はずれ? ―― LCROSS の月面突入 (続報)

昨日付「意外な結末? ―― LCROSS の月面突入」の続報です。セントール・ロケットと LCROSS の月面衝突では、月面物質の塵の雲は舞い上がらず、衝突予定時刻に衝突想定地点にポツッと小さな光の点が現れただけに終わりました。壮大な打ち上げ花火を期待していたのに、実際は湿った線香花火だったようなものです。期待されたような塵の雲が発生しなかったことについて、失望感と不満が渦巻いています。児童や学童が夜遅くまで寒い屋外で寝袋にくるまって衝突の瞬間を見守った(写真)のですから、その反動も大きいようです。

報道記事の中にも、NASA に対する皮肉や非難が現れるようになってきました:
記事の中には次のようなことも書かれています:
Note to NASA: Next time you spend $79 million on a space mission, scraping together bargains from Northrop Grumman's discount shelves, set aside a few million for a scriptwriter and better-than-B-movie production crew.

NASA への覚え書き: つぎの宇宙ミッションで(今回のように)ノースロップ・グラマン社の安売り特売品を(月に衝突させて)スクラップにするのに 7900万ドルも使うときには、そのうちの数百万ドルを留保して、脚本家と B 級よりはましな映画プロダクションのスタッフを雇うことに使うことだ。
以下の記事は、LCROSS の月面衝突の翌日に NASA が開いた記者会見の様子を伝えています:
会見の中で、7900万ドルをかけたミッションの目的は、月の南極付近で月面物質の塵の雲を巻き上げて、その中に水や氷の痕跡がないか調べることであったのに、塵の雲は発生せず失望していると質問者が発言したのに対して、NASA の担当者は次のように答えています:
ここ数日間、記者の皆さんはわれわれが「月を爆撃する」と書き立て、興奮しすぎであったように思います。(衝突の際に)実際にわれわれが目撃したことは、われわれが事前に議論し、実験室で実験していた想定の範囲内でした。
さらに、期待されたような塵の雲が発生しなかった原因について、研究責任者がいくつかの仮説を披瀝していますが、その中の一つは次のようなものです:
セントール・ロケットと LCROSS 本体が、衝突地点の物質を上方ではなく横方向に放出するような角度でクレーターの内壁に衝突したからかも知れない。
NASA は、観測装置は想定以上に良好に働き十分なデータが取れたので、さまざまな疑問への答はいずれ出されると述べています。

大衆の期待するような見栄えのする結果が得られなかったからといって、性急に研究者や研究機関を非難するのは間違っていると私は思います。研究に対する無用の圧力を生み、研究者を萎縮させることになりかねません。納税者として一言言いたいという気持ちは、わからないでもありませんが。

自ら足を切断して脱出 ―― インドネシア

9月 30日に発生したスマトラ島の大地震での出来事です:
以下に記事を要約してみました:
ビルディングの建設現場の 7階で作業に携わっていた Ramlan という名の 18歳の青年。大地震の大きな揺れに襲われたとき、彼は同僚たちとともに、パニックに陥りながらも地上に避難しようとした。しかし Ramlan は落下してきたコンクリート製の桁に右足を挟まれ、動けなくなってしまった。

大地震では必ず大きな余震があることを知っていた彼は、余震によってさらにビルディングの崩壊が進めば助からないことを覚り、挟まっている右足を切断することを決意。手の届くところにあったクワ(鍬)を自分の右足に振り下ろした。しかし、クワの刃先は鈍く、何度やっても、骨を断つことができなかった。

ポケットに携帯電話が入っていることを思い出した Ramlan は、すでに脱出している同僚に電話。彼がまだ生きていることを知って駆けつけた同僚は、その場にあったセメント作業用のコテ(鏝)を彼に手渡したが役に立たなかった。次に木工用のノコギリ(鋸)を渡すと、Ramlan はそれで足を切断する作業を続けたが、途中で彼の精神力も尽きてしまった。やむなく同僚がノコギリで Ramlan の足を切断。そばにあった建築材料で大量に出血する傷口を覆い、地上まで Ramlan を運びおろした。
敬服に値する決断力と、すさまじい精神力だと思います。私が同じ状況に陥ったとしても、このようなことはできないと思います。

地温上昇で羊が炎上 ―― ヨルダン

中東の国 ヨルダンで、放牧中の羊が炎に包まれ、跡形もなく燃え尽きてしまうという異常現象がおきています:
記事によると、現場は、同国北部 Balqa 州の都市 Salt(下記グーグル・マップ参照)の北 10km で、約 2000m² (別の記事では 50~60m²)にわたって地温が 400°C まで上昇、ものを投げ入れると炎を上げて燃え尽きてしまうとのことです。ヨルダン政府は調査委員会を設置して調査をおこなおうとしています。ヨルダン地質学者協会の会長は、異常現象がおきている地域では地震や火山活動は観測されていないと発言、また、自然資源局の長官は、地下に堆積した有機物の発酵が原因ではないかと推測しています。
上記地図でおわかりのとおり、現場は、紅海―アカバ湾―死海―ヨルダン川とつながる地溝帯に沿った所です。何らかの地質学的な原因があるのではないかと、私は思っています。

2009年10月10日土曜日

スマトラ島の惨状

9月 30日にインドネシア・スマトラ島で発生した M7.6 の大地震では、同島西海岸中央部の都市パダンを中心に大きな被害が出ています。その様子を、『ボストン・グローブ』紙の “The Big Picture” が特集しています:
特に私の印象に残った写真は以下のものです。番号は各写真の左下に書かれています:
2番: 命からがら練習場から逃げだしてきた柔道着姿の少女。腕にインドネシアの国旗が縫いつけられています。将来、この少女の成長した姿がオリンピックで見られるかも知れません。

7番37番: 土砂崩れの様子を飛行機から撮影した写真です。昨年 6月に発生した「平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震」の土砂崩れを思い起こさせます。

15番: マットレスの上の赤ちゃん。犬も寝そべっています。親はそばにいるのでしょうか。余震が来たらと思うと、心配になります。

16番: 生きたアヒルを袋詰めにして避難する男性。アヒルがうまく穴から首を出していますが、どうやってつめたのでしょうか。中には、首が出せずに呼吸困難に陥っているアヒルもいるのかも知れませんが。

32番: 土砂崩れに巻き込まれて生き埋めになった女性。長い髪の毛だけが地表に出ています。
話しがそれますが、“The Big Picture” は、中国の建国 60周年記念式典の様子も特集しています:
ミニスカートで行進する女性兵士の姿など、近代化された人民解放軍のさまざまな制服のバリエーションを見ると、一昔前のやぼったい人民服とは隔世の感があります。しかし、この時期にこれだけ多くの人が集まると、新型インフルエンザの感染が一気に広がるのではないかと心配になります。

意外な結末? ―― LCROSS の月面突入

Artist's rendering of the LCROSS spacecraft and Centaur separation. Credit: NASA

LCROSS(Lunar Crater Observation and Sensing Satellite)から切り離されていたセントール・ロケットが、日本時間の昨晩8時半過ぎ、月の南極付近にあるカベウス・クレーターに高速で衝突しました。さらに、その数分後に LCROSS 本体も後を追うようにして月面に衝突しました。LCROSS 本体は、先行するセントール・ロケットの衝突を至近距離から観測し、データを地球に送ってきました。月面には 2つの衝突クレーターができたとのことです:
日本では、ちょうど月が東の地平線から昇ってくる時刻に当たったため、観測はできなかったと思われます。

多くの研究者や天文ファンが見守っていた衝突ですが、予想されたいたような強い閃光や塵の雲が発生せず、意外と受け止める人が多いようです:
上の『アメリカン・クロニクル』紙の記事では、塵の雲が発生しなかったことについて、NASA の科学者たちは困惑していると伝えています。一方、『サイエンス』誌の記事では、次のように伝えています:
LCROSS プロジェクトの科学者たちでさえ塵の噴出を観測できなかった。LCROSS の研究責任者でカリフォルニア州マウンテン・ビューにある NASA のエイムズ研究センターに勤める Anthony Colaprete 氏は「私自身は必ずしも驚いているというわけではない」と語っている。(LCROSS のような)探査では「どのようなことが起きるか、やってみるまでわからない。われわれは、さらにきめの細かい調査に立ち戻るだけだ」。Colaprete 氏の容易にくじけない楽観主義は、衝突地点周辺で検出された注目すべきスペクトルの変化に基づいている。

実は、Colaprete 氏は、同僚たちに塵の雲が発生しないかも知れないという可能性について(事前に)警告していた。「衝突によるクレーターの形成というのは、実証されていない、非常に予測が困難な科学の分野だ」と、彼は 3月におこなわれた月と惑星の科学に関する学会で聴衆に対して述べている。LCROSS チームで衝突のモデリングを担当している研究者たちは、単純な球形ではなく円柱形で、かつ中身が詰まっているわけではなく内部に空洞の多い LCROSS 衝突体のような物体の衝突をシミュレートすることに悪戦苦闘していた。さらに加えて、LCROSS が、形状や組成の判明していない未知の表面に突入することも、困難さを増す要因となっていた。(中略) たとえば、奇妙な観測されていない岩塊が突入地点にあったとすると、衝突によって発生する塵のほとんどを上空ではなく、クレーターの壁に向かって吹き飛ばすこともありうる。
はたして月面の地下に大量の水(氷)が存在するのか否か。今回の LCROSS の衝突によって得られた結果は、12月に開かれる米国地球物理学連合(AGU)の会合まで公表されることはないとのことです。

過去の関連記事

2009年10月2日金曜日

同名異国


2 つのサモア


今回のマグニチュード 8.3 の大地震と津波によって大きな被害を受けたサモア。被害を伝えるニュースでは「サモア」と「アメリカ領サモア」という言葉が使われています。紛らわしいのですが、この二つは別々の地域を表しています。

「サモア」は、「サモア独立国(Independent State of Samoa)」が正式の名称で首都はアピア。19世紀にサモア諸島を植民地化するに際して、ドイツ、イギリス、アメリカが対立。ドイツが領有することになった西サモアがこの国の起源です。第 1 次世界大戦でドイツが敗れたことによってニュージーランドの委任統治領となり、第 2 次世界大戦後には同国の信託統治領となりましたが、1962年に「西サモア(Western Samoa)」として太平洋諸島中で最初に独立、さらに 1997年に国名を「サモア独立国」に改めました。

もう一方の「アメリカ領サモア(American Samoa)」はその名が示すとおりアメリカ合衆国の海外領土で、中心都市はパゴパゴです。植民地争奪戦の結果、アメリカ領とされた東サモアがそのまま続いています。


2 つのコンゴ

コンゴ共和国(Republic of Congo)」と「コンゴ民主共和国(Democratic Republic of the Congo)」があります。

「コンゴ共和国」は、かつては黒人が支配していた「コンゴ王国」の領域です。フランス領赤道アフリカのコンゴ州となりましたが独立。一時期「コンゴ人民共和国(People's Republic of the Congo)」と称していましたが、その後「コンゴ共和国(Republic of Congo)」となっています。首都はブラザビルです。

もう一方の「コンゴ民主共和国」は、19世紀にベルギー国王レオポルド 2世の私領となり、その後ベルギーの直轄植民地となっていました。1960年にベルギーから独立、コンゴ動乱が起こりました。国名は、「コンゴ共和国」→「コンゴ民主共和国」→「ザイール共和国」→「コンゴ民主共和国」と変遷しています。首都はキンシャサです。


2 つのドミニカ

ドミニカ共和国(Dominican Republic)」と「ドミニカ国(Commonwealth of Dominica)」があり、ともにカリブ海に面しています。前者は大アンチル諸島、後者は小アンチル諸島にある独立国です。サモアやコンゴと違うのは、この 2つの国が遠く隔たっており、まったく隣接していない点です。この二つの国の間には 10近い国や地域が存在しています(それらの国名は、オリンピックの入場行進か国際捕鯨委員会(IWC)でしか目にする機会がないと思います)。

前者「ドミニカ共和国」は、フランス、スペイン、隣国ハイチ、アメリカなどの支配を受けてきました。その後のトルヒーヨ(トルヒーリョ)将軍・大統領による独裁政権が長期間続いたことで、この国を記憶しておられる方も多いのではないでしょうか。首都はサント・ドミンゴです。

後者「ドミニカ国」はイギリスの植民地、自治領を経て独立しました。首都はロゾーです。この国は火山島であるため、滝や温泉や豊富で植物の種類も多く、島全体が〈カリブ海の植物園〉と呼ばれるそうです。カリブ海諸島の原住民カリブが現存する唯一の国でもあるとのことです。

太平洋と比べると、大西洋にはプレートの沈み込み帯がほとんどありません。大西洋にある沈み込み帯は、南極大陸と南アメリカ大陸の間にある南スコシア海溝と、カリブ海の東方にある小アンチル海溝(プエルト・リコ海溝)だけです。小アンチル海溝では、おおよそ東から西に向かって大西洋の海底が沈み込み、バルバドスリッジと呼ばれる大きな付加体が形成されています。ドミニカ国が日本と同じような火山島で温泉が豊富なのは、この沈み込み帯に面しているためと考えられます。

マグニチュード 10.5 (続報)

6月 19日付の記事「マグニチュード 10.5」でローランド・エメリッヒ監督の映画「2012」を紹介しましたが、この映画のさらに新しい予告編が 10月 1日に公開されました。情報を小出しにして映画への関心を高める作戦なのでしょうが、これまで公開されていたものと比べて、かなり長い予告編となっています:
予告編を見たかぎりでは、惑星直列、太陽面の巨大フレア、ポールシフトなどによって、人類が滅亡の危機に瀕するストーリーのようです。シナリオの完成度は「?」ですが、個々の災害シーンはよくできているように思います。

アメリカ人の中には、カリフォルニア州がいずれは大地震によって太平洋に沈んでしまうと思っている人がかなりいるようです。私の知人の中にも真顔でそのように話す人がいました。そのようなアメリカ人にとっての悪夢を映像化したと思われる大地震と水没のシーンも予告編には含まれています。

USGS(米国地質調査所)のサイトにも、FAQ(よくある質問)の一つとして、「カリフォルニア州はいずれは海に沈んでしまうの?」という質問が取り上げられています:
古いバージョンですが、日本語字幕つきの予告編が以下にあります: