日没後の南西の空に2つの赤い星が輝いています。火星とさそり座の1等星(さそりの心臓)アンタレスです。両者は徐々に近づきつつあり、最も近づくのは10月21日です。
アンタレスの名前は、「火星に敵対するもの(アンチ・アレース)」(ギリシャ語で火星はアレース)に由来しています。火星と同じように赤く明るい星であることからそう呼ばれるのは無理からぬことです。
古来、この2つの星が近づくのは不吉の前兆とされています。ウィキペディアの火星の項から引用します:
火星は五行説に基づくオカルト的な呼び名であって、学問上(天文史料)では熒惑(ケイコク、エイコク)といった。「熒」はしばしば同音の「螢」と誤られる。また、この場合の「惑」は「ワク」ではなく「コク」と読む。営惑とも書く。(略)
火星がさそり座のアンタレス(黄道の近くに位置しているため)に接近することを熒惑守心(熒惑心を守る)といい、不吉の前兆とされた。「心」とは、アンタレスが所属する星官(中国の星座)心宿のこと。
『星の神話傳説集成』(野尻抱影、恒星社、1975)には次のように書かれています:
また中国では、火星が天王(アンタレース)に近ずくのを、「けいわく(火星)心に迫る」と云って、最も不吉としていた。(略)
そこで、中国の昔の本には、「けいわくが心に迫る」と、王者勝たず大将戦死すとか、大臣反いて天下に乱起るとか、王の世つぎが絶えて貴人がうえ死にするとか、ろくなことは書いていない。たとえば、秦の始皇帝の三十六年にこの天文があって、火星の光がまっ赤で、にわとりの血のように見えた。あくる年果たして始皇帝が崩じ、二世が即位して、兄弟や大臣大将らを殺し、ついに秦が亡びたとあったり、唐の世には玄宗の天宝十三年に火星が心宿にあること五十日余で、よく年安禄山が反き、帝が蜀に逃げたなどとある。
以上はもちろん迷信ですが、最近の不穏な世界情勢を考えると少し不安になります。イスラエルがイランの核施設を奇襲攻撃するとか、東シナ海で尖閣諸島沖海戦が勃発するとかといったことがないように願いたいものです。
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