日本書紀、続日本紀、日本後紀に次ぐ第4の勅撰史書・続日本後紀の承和四年(西暦 837年)十二月の記事から:
「辛卯」は 12月2日、「甲子」は12月5日です。 原文には「天皇愕然」とありますが、この時の天皇は仁明天皇です。辛卯。是夜、盜開春興殿。偸取絹五十餘疋。宿衞之人不得見着。
本日夜、盗人が春興殿に入り、絹五十余疋を盗んだ。宿衛の者は気づかなかった。甲子。夜分、女盜二人昇入清凉殿。天皇愕然、命藏人等、告宿衞人、逐捕之。纔獲一人、其一人脱亡。夜半、女盗人二人が清涼殿に侵入した。天皇は驚き、蔵人らに命じて宿衛の者に告げ、あとを追い捕らえさせたが、一人を捕らえたのみで、もう一人は逃亡した。
盗賊の侵入に最初に気づいたのが、清涼殿で就寝中の天皇だったということなのでしょう。側近の蔵人を通じて宿衛人に告げたとありますから、警備の担当者は侵入に気づいていなかったと考えられます。3日前に春興殿に賊が入ったばかりですが、この時にも宿衛人は気づいていません。
さらに、 12月21日夜には「盗人が大蔵省の東長殿の壁を破り、絁・布等を窃取した。どれほどのものが盗られたか不明であった」と記録されています。
現代語訳は『続日本後紀(上)』(森田悌、講談社、2010)から引用しました。
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