2015年2月19日木曜日

2月の地震についての「地震奏」


2月に入って、6日に徳島県南部、同17日に岩手県沖と、立て続けに強い地震がありましたが、平安時代の公家・藤原行成の日記『権記』に、2月に起きた地震についての記録があります。寛弘3年(西暦1006年)2月2日午前8時前後に都であった地震について、その翌日に陰陽師の県奉平(あがたのともひら)が天皇に奏上した「地震奏」を書き写したものです。

「地震奏」は次のように始まります:
今月二日乙亥、時は辰の剋。地震う 〈月は奎宿を行く〉

この後、2月の地震、あるいは月が奎宿にある時の地震について古来の文献からの引用が続きます。長いので表にまとめます:

文献 内容
『天文録』 「地が動き震うのは、民の憂いである」
『京房妖占』 「地が春に動くのは、歳が昌んではない」
『天地瑞祥志』 「内経に云うには、『二月に地が動くのは、三十日の間に兵が起こることがある』と。また云うには、『月が奎宿を行く時に地が動くのは、刀兵が大いに起こり、国土を損害し、客が強く主が弱い』と。また云うには、『月の初旬に地が動くのは、商人を害す』」
『内論』 「月が奎宿を行く時に地が動くのは、竜が動く所であって、雨が無く、江河は枯渇し、その年は麦が宜しくない。天子は凶で、大臣は災いを受ける」
『雑災異占』 「地が動くのは女官に喪が有る。天下の民は多く飢え、買米を騰貴させる」
『東方朔占』 「地が二月に動くのは、その国は昌んではない。長者を殺し、大喪がある」


現代語訳は、以下からの引用です:

「刀兵が大いに起こり、国土を損害」、「天子は凶」とか「長者を殺し、大喪がある」など物騒な内容が含まれています。現代に当てはめると、「大臣は災いを受ける」とは政治生命を絶たれる大臣が出るということか、「商人を害す」とは中東で日本人の商社員が殺害される暗示か、などと考えてしまいます。しかし、寛弘3年2月は、西暦では3月に相当しますし、歴史年表を調べてみても「地震奏」に書かれているようなことは起きていません。

感心したのは、陰陽師の県奉平が地震の翌日には多数の文献を引用した報告書「地震奏」を清書して天皇に奏上していることです。コンピューターによる検索機能のない時代に、多数の文献から適切な引用ヶ所を見つけ出すのは大変なことだったと思います。

なお、有名な陰陽師の安倍晴明は、この前年の寛弘2年に没したとされています。


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