江戸幕府の第8代将軍・徳川吉宗(将軍在位 1716年〜1745年)が、享保の改革の一環として洋書の輸入を解禁したということは日本史の授業で学んだ記憶があるのですが、吉宗自身がそれらの洋書を読んで西洋の学問を吸収していたということまでは知りませんでした。洋書といっても横文字の書物ではなく、中国で漢訳されたものだったようですが。
吉宗が特に関心を示したのは、法律、天文、地理、農学、医学などの分野で、気象学にも興味を持っていたようです。以下は『徳川吉宗』(百瀬明治、角川選書260、1995)からの引用です:
いつごろからか、気象学にこった吉宗は、江戸城の庭に桶を置き、毎日の雨量をはかって日記に書きこむことを欠かさなかった。寛保二年(1742)の初秋、吉宗は雨水のたまりぐあいを見、日記のページを繰りながら、しきりに首をひねっていた。そのようすに気づいた小姓が、いかがなされましたかと尋ねると、吉宗は暗い顔をして答えた。「江戸をはじめ坂東とその近辺は、二、三日のうちに大雨にみまわれ、各地で大きな被害が出るであろう。前もって救済の対策を立てるよう、いそぎ老中以下に申し伝えよ」吉宗のこの予見はピタリと的中し、それから間もなく降りはじめた雨は、関東・甲信地方の川をあふれさせ、江戸時代最大といわれる大洪水をひきおこした。
「いそぎ老中以下に申し伝えよ」という台詞が痛快です。 この時の洪水については、以下を参照してください:
当時の西洋の気象学はどのような水準にあったのでしょうか。Wikipedia の「気象学」の項には以下のような記述があります:
科学的な観測が始まったのは近代科学が発達し始めた近世ヨーロッパである。17世紀にはトリチェリが制作した気圧計によって気圧変化と天候の変化の関連性が発見され、ガリレオ・ガリレイが発明したとされる温度計もこの頃改良され実用化した。このような測定器の発明によって科学的な気象観測が始まり、近代気象学も発達し始める。エドモンド・ハレーは1686年、航海記録から風の地図を作成して貿易風と季節風にあたる風を発見した。ジョージ・ハドレー(英語版)は1735年に、貿易風は熱帯が太陽の熱を多く受けることと地球の自転の力によって生じるとの説を発表し、これが後のハドレー循環の発見につながる。