5月19日付「溶岩流爆撃作戦とパットン将軍 (その1)」からの続きです。
爆撃に対して、火山の女神ペレの「復讐」があったようです。
ハワイの地元民たちは爆撃に動揺したものの、それが成功であっても失敗であっても怒ることはありませんでした。彼らは、爆撃はハワイの火山の女神ペレに対する侮辱だと信じていました。
文化人類学者の H. Arlo Nimmo はその著書『ハワイの火山の女神ペレ: その歴史』(Pele, Volcano Goddess of Hawaii: A History)の中で、多くの人々は爆弾が「女神を怒らせ、さらなる破壊を招くだけだ」と恐れていた、と書いてます。
1か月も経たないうちに、伝説のごとくペレは復讐の刃を抜き放ちました。オアフ島上空で2機の飛行機が衝突し、爆撃作戦に参加した6人が死亡したのです。
それでもなお、人々はハワイや世界のあちこちで火山に対する挑戦をやめませんでした。Jaggar とパットンがマウナ・ロアに挑戦した時の前後にも、溶岩流をそらすためのバリケードから冷たい海水を使って灼熱した岩石を吹き飛ばすことまで、多岐にわたる方法が試みられました。
マウナ・ロアに対しては1942年に2度目の爆撃が試みられましたが、米国地質調査所(USGS)の J.P. Lockwood と アメリカ空軍の F.A. Torgersonは 「顕著な効果はなかった」と『火山学紀要』(Bulletin of Volcanology)の所載の記事に書いています。
(続く)
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