地球は蜂蜜がいっぱい詰まった風船だと想像しよう。風船の膜は、地球のリソスフェアに相当する。風船を指で押すと、窪みが残る。蜂蜜がゆっくりとそのへこみをなかから埋めるため、膜は一定の速度で弾力的に跳ね返る。反応が進む速さから、蜂蜜の粘性はわりと簡単に計算できる。それはマントルの場合も同じだ。マントルは、水の 10 の 23 乗倍の粘性がある液体と考えられる。マントルの粘性率(粘性係数)については、さまざまな推定値がありますが、『図解入門 最新 地球史がよくわかる本』(川上紳一、秀和システム、2006)には、上部マントルで 1020 Pa・s、下部マントルは 1021 Pa・s 程度との記述があります(Pa・s は「パスカル・秒」と読み、粘性率の単位)。一方、水の粘性率は理科年表(丸善書店)によると、摂氏 20 度、1 気圧で 0.001 Pa・s 程度ですから、これと比べて、上部マントルは 1023 倍も粘り気のある「液体」であるわけです。
マントルが固体でありながら液体のように流動することについて、『地球 46 億年全史』は次のような事例をあげて説明しています:
中世の教会の窓ガラスは人の目を惑わす。ガラスを通して見える世界は、ゆがんでいる。渦を巻き、屈折し、ぼやけている。 …(略)… 何百年にもわたって重力を受けつづけたガラス窓の表面は、本来の形がゆがみ、しわがより、垂れ下がって起伏が生じ、ついにガラス越しに見るものすべてが奇怪にゆがむようになってしまう。それでも私たちはガラスが壊れやすい硬い固体だということを知っている。ガラスは粘り気のある液体のように、固体であると同時に流体でもあるらしい。私もヨーロッパでこのような状態になった古いガラスを見たことがあります。ガラスは短時間に作用する力に対しては「割れる」という固体としての姿を見せますが、長期間継続して作用する力に対しては上記の教会のガラスのように「流れる」という液体としての姿を見せます。かつて、NHK 教育テレビの高校講座「地学」では、硬めに作った水飴を使って実験をしていました。この硬めの水飴を傾いた板の上に置くと、非常にゆっくりとですが液体のように低い方に流れていきます。ところが、この水飴をハンマーで叩くと、ガラスのように砕けて破片が飛び散ります。マントルの性質を直感的に理解できる非常に説得力のある実験で、強く印象に残っています。
プレートテクトニクスで「マントル対流」などという言葉を聞くと、マントルは完全に溶融した液体とイメージしがちです。しかし、本質的にマントルは固体です。マントルが個体であることの証拠としては、地震波の S波(横波、ねじれ波)が伝わることがしばしばあげられます。しかし、それだけではありません。マントルを構成するかんらん石などが完全に溶融していたとすると、密度的に現実と合いません。また、上記のような高い粘性率を示すことはないと考えられます。
書名は忘れましたが、以前読んだ本に、もし地球という天体の内部で最大の容積を持つマントルが液体だったとすると、月が及ぼす起潮力による地殻の変位(特に上下方向)は現実よりも非常に大きくなるはずで、そうであればわれわれの住む大地はひび割れでずたずたの状態になっているだろう、さらには、地球の自転は現実よりもずっと遅くなっているはずだ、という主旨の記述を見たことがあります。生卵とゆで卵の見分け方として、テーブルの上で回転させてみるというやり方があります。内部に流動体の部分がある生卵は、その流動体の内部摩擦のため、すぐに回転がとまり倒れてしまいます。それと同じことだということです。