すでに新聞などでも報じられていますが、1919年に岡山県の津雲貝塚(地図)から発掘された左手と右足のない約 3000年前の人骨が、サメに襲われた世界最古の人骨であることがわかりました。発掘から約 100年間、千人を超える研究者が目にしてきた人骨であるにもかかわらず、誰も気づかなかった新発見は、イギリスのオックスフォード大学から京都大学に来ていた大学院生のお手柄だそうです。
「傷があることは知られていたが、誰も深く探究しなかった。サメのかんだ痕と言われ『しまった。そうだったのか』と思った」:
- Reconstruction of the oldest shark attack on a human, from Tsukumo shell-mound, Japan (写真2葉あり)
- 3000年前にあったサメの襲撃 -岡山県の縄文貝塚から世界最古の記録- (写真2葉あり)
- サメに襲われた最古の人骨、京都大で発見 英国学生が確認、京大研究者「しまった、そうだったのか」 (写真2葉、動画あり)
この報道を見て思い出したのが、『出雲国風土記』に記録された語臣猪麻呂(かたりのおみゐまろ)の逸話(毘売埼伝承)です。現代語訳を『風土記 上』(中村啓信監修、角川ソフィア文庫、2015)から引用します(空白行の挿入は当ブログの筆者):
さて、北の海に毘売埼(地図)がある。 飛鳥浄御原宮で天下をお治めになった天皇(天武天皇)の御世の甲戌年(674)七月十三日、語臣猪麻呂の娘がこの埼をさまよっていて、たまたまワニ(サメ)に襲われ、殺されて帰らなかった。その時、父の猪麻呂は、殺された娘を浜のほとりに埋葬し、激しく悲しみ怒って、天を仰いで叫び、地に躍り上がり、歩いてはうめき、座り込んでは嘆き悲しみ、昼も夜も苦しみ、娘を埋葬した場所から立ち去ることはがなかった。[中略]神に祈り訴えて、「天つ神千五百万、国つ神千五百万、さらにこの国に鎮座しておられる三百九十九の神社、また海神たち。大神の安らかな魂は静まり、荒々しい魂はすべて、猪麻呂が願うところにお依りください。本当に神霊がいらっしゃるのならば、わたしにワニ(サメ)を殺させてください。それによって神霊が本当の神であることを知るでしょう」と言った。しばらくして、ワニ(サメ)が百匹ばかり、静かに一匹のワニ(サメ)を囲んで、ゆっくりと連れて寄ってきて、猪麻呂のいるあたりで進みもせず退きもせず、ただ連れてきたワニ(サメ)を囲んでいるだけであった。その時、猪麻呂は、鉾をあげて中央のワニ(サメ)を刺し、とうとう完全に殺し捕らえてしまった。その後、百匹ばかりのワニ(サメ)は、思い思いに去っていった。ワニ(サメ)を斬り裂くと、娘の片脚が出てきた。そこでワニ(サメ)を切り裂いて串に刺し、路のほとりに立てた。
今回、京都大学で「発見」された人骨が片脚を失っている点は、猪麻呂の娘と共通しています。また猪麻呂の逸話の舞台となった島根県安来市にある毘売塚古墳(地図)からは、欠損のある人骨が見つかっています。猪麻呂の娘の墓と考えたいところですが、年代は 5世紀のものとされていて、猪麻呂の時代より 200年ほど前のものということになります。