スペインとフランスの国境となっているピレネー山脈。その西端部のバスク地方(地図)に居住するバスク人は系統不明の民族とされ、その言語はヨーロッパのいかなる言語とも類縁関係がないとされています。そのため、バスク人はアトランティス文明を築いた人々の直系の子孫で、アトランティス大陸が大西洋に没したため、バスク地方に移り住んだのだ、という説が出されたこともあります。
このほど、そのようなバスク人の由来を解き明かしたとする論文が発表されたそうです:
上記記事によると ――
バスク人は狩猟民と農耕民が混合した集団の子孫で、数千年にわたって他の集団から孤立してきた。スペイン北部の El Portalón(地図)で発掘された3500年前から5000年前の石器時代に属する頭骨のゲノム(遺伝情報)を解析した結果、これらの頭骨は現代バスク人の祖先にあたるものであることが判明。この祖先は「先住民」であって他地域からの植民者ではない。別の言い方をすれば、彼らは中近東に淵源を持ち、7000年前にスペインに定住した。
バスク人が長期間にわたって他の民族から孤立していた理由ははっきりしないが、地理的な要因と文化的な要因が関係していたとみられる。ヨーロッパ中にインド・ヨーロッパ語族の言語を広めた植民者たちとは明確に異なっていた。さらに、西暦711年にアラブ人がイベリア半島を征服したときにもバスク人には影響が及ばなかった。
われわれ日本人にとってバスク人はなじみが薄いかも知れません。しかし、日本人の間でも知名度の高いバスク人がいます。なんと言っても、知名度の筆頭はフランシスコ・ザビエルでしょう。さらに、南米大陸の5ヵ国をスペインからの独立に導いたシモン・ボリバル。彼の名前はボリビアという国名にもなっており、ベネズエラ、コロンビア、ボリビア、ペルーの大統領を歴任しています。また、バレエ音楽「ボレロ」や「ダフニスとクロエ」の作曲者モーリス・ラベルはバスク系フランス人です。
さらに付け加えるならば、ベレー帽はバスク地方が発祥地です。キューバ革命に携わったチェ・ゲバラは父親がバスク系で、バスク・ベレーを愛用していました。彼の有名な写真もベレー帽をかぶった姿です。
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