関東大震災を予測したことで知られる地震学草創期の研究者・今村明恒博士(1870〜1948)は、日本列島の地震には「旺盛期」というべき時期が 3回あった、それは(第一期)7世紀末から 9世紀末、(第二期)16世紀末から 18世紀初頭、(第三期)19世紀半ば以降である、これらの「旺盛期」は必ず「三陸沖に於ける地下大活動」によって代表される、と指摘しました。
博士は 1936年に発表した論文で次のように述べています ——
とくに第一期、第二期はその期間あまり長からざるにかかわらず、地震活動が、この間に本邦における地震帯の全系統を少なくとも一巡しているようにみえる。これはまったく偶然の結果かもしれないが、しかし各期における活動の原因が広く日本に対して働きつつあった一勢力にあるとみる時、斯様な現象の起こるのもむしろ自然のように思われる。
ここに書かれている「日本に対して働きつつあった一勢力」の実体を今村博士がどのように考えていたのかはわかりません。太平洋プレートのようなものだったのでしょうか。プレート・テクトニクス理論が登場したのは 1960年代の後期です。
参考書籍: 保立道久『歴史のなかの大地動乱 — 奈良・平安の地震と天皇』岩波新書、2012