太平洋戦争の戦況が絶望的になっていた1944年12月7日午後1時35分、熊野灘から遠州灘にかけての海域で大地震が発生しました。M7.9、最大震度6の東南海地震です。この地震の後、被災地に流れた不思議なうわさを『超常現象の科学 霊魂からブラックホールまで』(都筑卓司著、講談社ブルーバックス B-333、1977)から紹介します:
地震のかなり前に、遠州地方のある油屋に一人の坊さんが現れたそうである。(中略)
「油を一升(1.8リットル)くれ」といって、坊さんは「ざる」を差し出したそうである。ざるに油が入るはずはない。そんなばかな……いいから入れろ……の押し問答がしばらく続いたあと、そうまで言うのなら、というわけで油屋はざるに油を注ぎ込んだ……が、油は一滴もこぼれなかったという。
あっけにとられている油屋を前にして、代金を払った後、坊さんは静かに言ったそうである。
「アメリカの物量攻勢のために、日本は危うい。かなり追いつめられることになろう。だが……もし……大きな地震まで――そのうち、日本に必ず大きな地震が起こるが――もちこたえたら、日本は大丈夫だ。その後は……日本はきっと勝つ……」
こう言ったまま、坊さんは静かに立ち去った。
このあと、油屋の若者がこの不思議なお坊さんのあとをつけて行くのですが、ある祠のあたりで転んでしまいお坊さんを見失ってしまった、ということです。
大地震の後に国民の士気や戦意を維持するために当局が意図的に流したうわさなのかも知れません。それにしても、ざるに油を注ぐという行為は何を意味しているのでしょうか。