最近、講談社学術文庫から《藤原道長 「御堂関白記」》(全現代語訳 倉本一宏)の上・中・下が相次いで刊行されました。さっそく買い求めて読んでいます。平安時代、摂関政治の絶頂期に最高権力者の地位にあり、栄華の極みにあって「この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」という和歌を詠んだことでも有名な藤原道長(ふじわらのみちなが)が記した日記です。
訳者の解説によると、道長は自分が怖いと思うことについてはほとんど日記に書かなかったそうです。別の公卿の日記、たとえば藤原実資(ふじわらのさねすけ)の日記『小右記』(しょうゆうき)などによると、道長自身はしばしば物怪(もののけ)に悩まされていたことがうかがえるのですが、そのことについて『御堂関白記』(みどうかんぱくき)にはいっさい記していないのだそうです。
そのような『御堂関白記』ですが、宏観異常かも知れないと思える怪異や不思議な出来事と地震の記事が散発的に見つかります。
以下に紹介する記事は、宏観異常とは言えませんが、道長の息子・教通(のりみち)が目撃した不可思議な現象です:
長和 4年(西暦 1015年) 7月 8日何らかの天文現象だと思うのですが、該当するものを思いつきません。人によっては UFO を思い浮かべるかも知れません。道長よりも前の時代には目撃されていたが、道長の時代には聞いたことがないという記述があることから、まったく初めての現象ではなく、それまでにも何度か目撃され伝承されていたことがわかります。
左衛門督(さえもんのかみ=藤原教通=道長の 5男)が云ったことには、「夜分、二星会合を見ました」と。「その有様は、二星が、各々、ゆっくりと行き合って、間が三丈ほどになりました。小星がそれぞれから出てきて、まず大星の許に到りました。小星が元に還った後に、二星が早く飛んで会合しました。後に雲が来て、会合している二星を覆いました」ということだ。「この事は、昔の人びとは見ていた」ということだ。近代は、未だ聞いたことがない事である。感慨は少なくなかった。
『御堂関白記』に残っている宏観異常かも知れない記事については、今後紹介していくつもりでいます。