2016年1月31日日曜日

歌詞が現実になる? (その3)


歌詞が現実になった事例として、幸田露伴は「震は亨る」の中で古代史からも2つの記録を挙げています。その1つ目は斉明天皇の治世末期に流行った童謡(わざうた)です。日本書紀にはその歌詞が「摩比邏矩都能倶例豆例……」のようにすべて漢字で記録されているのですが、ひらがなに直すと以下のようになります [言葉の区切り方は『日本書紀(下)』(山田宗睦著、教育社新書<原本現代訳> 41、1992)によります]:
まひらく つのくれつれ
をのへたを らふくのりかりが
みわたとのりかみ
をのへたを らふくのりかりが
かうしとわ よとみ
をのへたを らふくのりかりが

当時、朝鮮半島の百済が唐と新羅の連合軍に滅ぼされ、日本は百済の再興を支援するための軍勢を準備中でした。ところが、作り上げた軍船が現在の伊勢市近くで「夜中に故も無くして、艫舳相反れり」、また信濃国からは「蠅群れて西に向ひて、巨坂(おほさか)を飛び踰ゆ。大きさ十圍許(といだきばかり)。高さ蒼天に至れり」という報告があり、「衆(ひとびと)終に敗れむことを知(さと)りぬ」、「救軍の敗績(やぶ)れむ怪(しるまし)といふことを知(さと)る」という社会情勢になります。その記述に続いて上記の童謡が登場します。

歌詞の意味については古来、様々な議論があり確定していません。古代ペルシャ語で解釈できるという説もあるくらいです。文脈から、日本の百済救援軍が敗れることを暗示する不吉な意味があったことは確実だと思われます。『日本書紀 下』(日本古典文学大系68、岩波書店、1981)には、この童謡に対する注として「諸説あるが、未だ明解を得ない。要するに征西の軍の成功し得ないことを諷する歌に相違ない」と書かれています。

この童謡が流行った後、さらに不吉な出来事が続きます。そして、斉明天皇は九州の地で崩御し、日本の水軍は白村江の戦いで唐の水軍に大敗します。

(続く)


関連記事