阪神淡路大震災から21年。幸田露伴の「震は亨る(とおる)」という随想を紹介します。関東大震災(1923年)の翌月に書かれたもので、青空文庫で読むことができます:
この中で露伴は次のように嘆いています:
地震学はまだ幼い学問である。然るに、あれだけの大災に予知が出来無かつたの、測震器なんぞは玩器(おもちゃ)同様な物であつたのと難ずるのは、余りに没分暁漢(わからずや)の言である。強震大震の多い我邦の如き国に於てこそ地震学は発達すべきである。諸外国より其智識も其器械も歩を進めて、世界学界に貢献すべきである。科学に対して理解を欠き、科学の功の大ならざるを見る時は、忽ちに軽侮漫罵の念を生ずるのは、口惜しい悪風である。
そして、こう主張しています:
科学は吾人の盛り上げ育て上げて、そして立派なものにせねばならぬものである。喩へば吾人の子供を吾人が哀々劬労して育て上げねばならぬのと同じことである。まして地震学の如きは、まだ幼い学科である。そして黴菌学なんぞの如くに研究者も研究の保護促進をする者も多く無いのである。これに対つて徒らに其功無きを責むるのは、所謂雞卵に対つて其暁を報ぜざるを責むるの痴である。科学一点張りの崇拝も自分は厭ふが、科学慢侮も実に厭はしい。科学は十分に尊敬し、十分に愛護し、そして其の生長して偉才卓能をあらはすのを衷心より歓迎せねばならぬ。
(「哀々」の2文字目は原文では「二の字点」が使われていますが、フォントの制約で「々」(同の字点)に置き換えました。)
阪神淡路大震災の後も、東日本大震災の後も地震学者は非難がましい目で見られ、地震予知研究は表だっては放棄されタブー視されているようです。
関東大震災から92年あまり。地震学の現状を露伴が見たとしたら、なんと言うでしょうか。