2016年1月18日月曜日

歌詞が現実になる? (その2)


続く2つの事例は、昨日紹介した幸田露伴の「震は亨る」から引いています。

まず、関東大震災とその直前に天下を風靡していた「河原の枯芒」(野口雨情作) ――
此度の大震大火、男女多く死するの前には、「おれは河原の枯芒(かれすすき)、おなしおまへも枯芒、どうせ二人が此世では花の咲かないかれすゝき」といふ謡が行はれて、童幼これを唱へ、特に江東には多く唱はれ、或は其曲を口笛などに吹く者もあつた。其歌詞曲譜ともに卑弱哀傷、人をして厭悪の感を懐かしめた。これは活動写真の挿曲から行はれたので、原意は必ずしも此度の惨事を予言したのでも何でも無いが、大震大火が起つて、本所や小梅、到るところ河原の枯芒となつた人の多いに及んで、唱ふ者はパッタリと無くなつたが、回顧すると厭な感じがする。
青空文庫震は亨る」から引用]

続いて、明治の末年の大洪水と題名不詳の俗謡 ――
明治の末年の大洪水に先だつて、忌はしい謡が行はれた。それは今でも明記して居る人が有らうが、「たんたん、たん/\、田の中で……」といふ謡で、「おッかあも……田螺(たにし)も呆れて蓋をする」といふのであつた。謡の意は婦人もまた裳裾を褰(かか)げて水を渉るに至つて其影悪むべく、田螺も呆れて蓋をするといふのである。其謡は何人が作つたか知らぬが、童幼皆これを口にするに及んで、俄然として江東大水、家流れ家洗はれ、婦女も裳裾をかゝげて右往左往するに至つたのである。
青空文庫震は亨る」から引用]

(続く)


関連記事