2009年10月17日土曜日

ロマ・プリータ地震から 20年

20年前の 1989年 10月 17日午後 5時過ぎ(現地時間)、アメリカ西海岸のサンフランシスコからモンテレー湾にかけての地域が、強い揺れにみまわれました。米国地質調査所(USGS)の資料によると、震源はサンフランシスコの南南東 96km、サンタ・クルーズの北東 14km にある ロマ・プリータ山(「ロマ」は頂上が平たくなっている丘の意)で、マグニチュードは 6.9、震源の深さ 18km、最大震度 9(12段階の改正メルカリ震度階)。死者 63人、負傷者 3757人、被害総額 60~100億ドル。サンアンドレアス断層の一部が動いたと考えられています。

以下はロマ・プリータ地震に関する資料です:
上記の写真集の中で私の印象に残っているのは、地味ですが以下の写真です。サン・ノゼ南西のロス・ガトスで、道路側溝に設置された金属製の排水目皿が地震によって加わった強い力でゆがんでいます:
ロマ・プリータ地震から 20年が経過したことを契機に、大規模な防災訓練など、さまざまなイベントが企画されています。USGS やマスコミでは、当時の写真や経験談を募集しています。以下は、USGS が経験談の投稿を呼びかけてリンクを張っている Bay Area Earthquake Alliance のサイトです:
以下は、サンタ・クルーズ・センティネル紙に掲載された女性(地震当時 37歳)の経験談です。宏観異常に類する話題も入っています:
以下は記事の概略です:
[赤ちゃんの写真] この赤ちゃんは私たちの命を救ってくれました。

ロマ・プリータ地震がおきた 1989年 10月 17日、私は自分の誕生日を祝うため、ルー・ルー・カーペンターのスナックで 15人ほどの友人とパーティーを開くことにしていました。

10月 17日の午前中は、私はエメリン通りにあるサンタ・クルーズ郡の役所で仕事をしていましたが、同僚がひどい刺すような頭痛に襲われました。彼女は、「地震の前にはいつも頭痛がするの。私が地震を予知できるなんて他の人には言わないでね」と私に小声でささやきました。彼女は、周りの人に、頭がおかしいと思われたくなかったのです。私は、彼女の秘密をその日遅くまで(大地震が起きるまでは)守っていました。

その日は、蒸し暑い日でした。午前 11時ごろ、オフィスの中で数人が集まって、アースクエイク・ウェザー(地震日和)で蒸し暑いんじゃないだろうかとぼやき合い、昔の大地震の話題で盛り上がっていました。

午後になると、同僚は頭痛がいっそうひどくなり、早退してしまいました。私自身も吐き気をもよおすようになりました。船酔いしたような感じでした。私は友人たちに電話して、ルー・ルーの店でのパーティーは中止すると連絡しました。とてもお酒を飲めるような状態ではありませんでした。午後 5時 4分、私たちの世界は激しく揺さぶられました。私は仕事場にいたので安全でした。しかし、ルー・ルーの店の周辺では、建物の中に閉じこめられたり、死んだりした人がでました。

後になってわかったことですが、私が吐き気をもよおしたのは、最初の子どもを妊娠していたからでした。私と友人の命を救ってくれたのは、この赤ちゃんだと思わずにはいられません。
頭痛が地震の前兆であるか否か。疑似相関や確証バイアス・認知バイアスという心理作用によって、本人がそう思い込んでいるに過ぎない場合がほとんどだと私は思っています。