『武江年表』(ぶこうねんぴょう)という江戸時代の文献があります。武蔵国の江戸の出来事を年表にしたものです。世界大百科事典(平凡社)によると、次のような由来の資料です:
江戸 300年にわたる精細な年表。斎藤月岑(げつしん)著。正編8巻8冊、続編4巻4冊。正編は1849年(嘉永2)、50年に江戸須原屋伊八ら刊。続編は未刊のまま残った。正編は1590年(天正18)より1848年まで、続編は1849年より73年までを収める。内容は地理の沿革、風俗、事物起源などで、近世江戸における世態風俗の変遷を知るうえに便利な文献。
この『武江年表』から、江戸時代初期の地震とその前後の天象・地象などを拾い出してみました。日付は旧暦です:
1601年(慶長6年)
- 10月16日 大地震、房総の山を崩し、海を埋め、丘と成し、又海上俄に潮引く事、三十余町干潟と成る。
- 10月17日 潮大山の如く巻上げ流死夥し。
1627年(寛永4年)
- 4月8日 芝愛宕山権現社火(災後再び御造営有り)。
- 8月 洪水。大地震。
1630年(寛永7年)
- 6月23日 大地震。毛降る。
- 12月23日 大地震。戌の刻光物飛行し、其の音すさまじかりし。
1631年(寛永8年)
- 3月19日 江戸中に灰降る。
- 3月20日 諸国甘露降る。
- 4月2日 浅草寺炎上。
- 去年より今年に至る、六十州皮癬瘡を病む者多し。
- 8月 大風、家屋を壊ち樹木を折る。
- 10月 灰降る。
1633年(寛永10年)
- 1月21、22日 諸国大地震。小田原は別けて強し。
- 1月26日 申の刻、大地震。
- 4月より6月まで洪水。
1635年(寛永12年)
- 1月25日 寅卯の刻、大地震。午未の刻、又地震あり。
- 6月13日 大風。遠州豆州渡海の船八百艘破損す。
- 7月、天赤くして焼くが如し。
1647年(正保4年)
- 4月15日 夜、月の暈四方、月影の如く、朧の月四つ現はる。
- 5月13日 江戸大地震、上野大仏の像砕破す。
- 7月22日 氷降る(大きさ梅の実のごとし)。
1649年(慶安2年)
- 麻疹流行す。
- 6月20日 武州大地震。江戸中武家町家潰れ、死人怪我人多し(上野大仏像砕けしはこのとき也ともいふ)。
- 5月13日 河越大霰降る(重さ二斤、小は四十匁、人馬多く死す)。
- 8月20日 江戸大地震。
1650年(慶安3年)
- 3月23日 夜、江戸大地震あり。
- 5月 国々洪水。諸国毛降る(長さ四、五寸)。
- 8月7日 秩父郡辺大風雨。氷降る(大きさ八、九匁より十匁位)。
「光物飛行し、其の音すさまじかりし」(1630年)とあるのは、大火球が飛んだものと考えられます。轟音をともなう火球の報告は、現在でも時たまあります。
「月の暈四方、月影の如く、朧の月四つ現はる」(1647年)とあるのは、幻月(moondog)が現れたのだと思います。下記は、幻月の写真です。4つの幻月が写っているわけではありませんが、条件が整えば、本物の月の上下左右に一つずつ、計4つの幻月が見えるとのことです。写真をクリックすると拡大します。いずれも極めて寒い地域で撮影されたもので、日本の江戸で旧暦4月に現れたものとまったく同じとは言いにくいですが:
様々なものが降ってきたことが記録されています。そのうち、「甘露降る」(1631年)については、下記を参照してください。甘露が降ったとの記録は、奈良時代のことを書いた続日本紀などにも見えます。広辞苑には、「夏、カエデ・エノキ・カシなどの樹葉から甘味のある液汁が垂れて樹下を潤すもの。アブラムシが植物内の養分を吸収して排泄する、葡萄糖に富む汁」とあります。甘露が天から降ってきているのを直接目撃したのではなく、身のまわりのものや木の葉などに甘露が付着しているのを見て、天から降ってきたと思ったのではないでしょうか:
一番多いのが「灰降る」という記述です。これは、火山灰と考えるのが妥当だと思います。理科年表によれば、1600年代の前半、浅間山は頻繁に活動しています。
「毛降る」(1630年、1650年)については、火山毛(かざんもう)の可能性が高いと思います。ハワイでは、火山の女神ペレの髪の毛とされています。その写真が以下にあります(写真をクリックすると拡大します):
火山毛については以下に解説があります:
UFO現象と結びつけて語られることの多い「エンゼル・ヘア」と呼ばれる現象もあります。それも含めた解説は以下にあります:
『武江年表』の本文は、『隆慶一郎公式サイト』から引用させていただきました。
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