「7月に最大震度5強の地震が起きた鹿児島湾周辺について、政府の地震調査委員会は11日、活発な地震活動が続いているとして警戒を呼びかけた」、「1889年に熊本市で被害が出た地震の4年後の1893年、鹿児島湾に面する薩摩半島付近で地震が急増。翌年にかけ、M5・3、M6・3の地震が続けて起きた」:
上掲記事の元になったと思われるのが以下の資料です。全29ページですが、26ページ目に「1893、1894年の薩摩の地震とその前後の状況」というタイトルの資料があります:
以下は上記ページからの抜粋です:
中央気象台地震報告(顕著地震概況)における記述
○1893年9月7日
○1894年1月4日
- 給黎郡知覧村近傍で烈震、局部における震動猛烈。被害の大きな割に揺れの範囲は狭い。
- 知覧村での震動は北西-南東方向で、非常に急激な上下動を伴い、給黎郡役所では土瓶の蓋が飛びだした。
- 給黎郡役所では、本震後、数時間は殆ど間断なく揺れ続けたため地震回数を観測できなかった。
- 震動の性質や被害状況から、この地震の原因は断層に伴う地層の変位に起因すること明らか。
- 鹿児島測候所では、昨年9月の地震より強い震動を感じた。
- 昨年9月の地震と性質を異にし、局部における震動は猛烈ではないが揺れの範囲ははるかに広く、震動時間もやや長い。
地震の原因について弾性反発説が提唱されたのは20世紀になってからで、それにもとづく断層地震説が実証されたのはさらに後のことですから、当時の中央気象台が「地震の原因は断層に伴う地層の変位に起因すること明らか」と断言しているのは注目に値します。
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