2012年11月29日木曜日

地球危機一髪


1883年の夏、地球は危機一髪で大彗星の衝突を免れていたという説が出されています。ハレー彗星に匹敵する質量10億トン超の大彗星が地球のそばで分裂し、その破片の群れが観測されていたというのです:
  1. Billion-Ton Comet May Have Missed Earth by a Few Hundred Kilometers in 1883 (写真あり)
  2. Interpretation of the observations made in 1883 in Zacatecas (Mexico): A fragmented Comet that nearly hits the Earth (論文要旨)
  3. Mexican astronomers suggest Bonilla sighting might have been a very close comet breaking up (写真あり)
  4. Was the “First Photographed UFO” a Comet? (画像あり)

以下は、[1]の記事の一部をテキトー訳したものです:
1883年8月12日と13日、メキシコのサカテカス[Zacatecas、地図]にある小さな天文台で、一人の天文学者がとんでもない現象を観測した。その天文学者、ホセ・ボニーヤ[José Bonilla]が観測したのは、各々が霧のようなものに包まれた450個ほどの物体が次々に太陽面を横切っていく様子だった。 
ボニーヤは1886年にフランスの専門誌〝L'Astronomie〟にこの現象についての彼なりの説明を発表した。その専門誌の編集者は現象の解釈に窮して、鳥、昆虫、塵などがボニーヤの望遠鏡の前を通り過ぎたに違いないと示唆した。(それ以来、他の人々はボニーヤの観測をUFOの最初の証拠と見なしている。) 
現在、メキシコ・シティにあるメキシコ国立自治大学のヘクター・マンテローラの研究チームがこの現象について異なる解釈を発表している。この研究チームは、ボニーヤが観測したのは直前に分裂した彗星の破片の群れである、と考えている。この説によれば、物体が霧のようなものに覆われていたことや、物体どうしがお互いに非常に接近していたことも説明がつく。 
マンテローラのチームは推論をさらに進める。彼らが指摘するのは、この彗星[の破片の群れ]が太陽の前を通過する現象を地球上の他の観測者がだれも観測していないことである。当時数百キロメートル離れたところにあった直近の複数の天文台ですら観測していないのである。 
この点は、視差[パララックス]で説明できる。彗星の破片の群れが地球に十分に近ければ、近くの天文台であっても視差によって彗星の破片群が太陽からずれた位置を通り過ぎることになる。メキシコはサハラ、インド北部、東南アジアと同じ緯度にあるので、他に観測者がいなかったとは考えにくい。 
マンテローラのチームはこの事実を用いて、彗星の破片の群れが地球にどのくらい近いところを通過したのかの上限と下限を導き出した。それは、600kmから8000kmの間というものだった。まさに、紙一重、危機一髪であった。[訳注: 国際宇宙ステーションの軌道は地上約400km、気象衛星ひまわりの軌道は約36000kmです。] 
さらに、マンテローラのチームは、個々の破片の大きさが50mから800mあり、分裂前の彗星の大きさは10億トンを上まわってハレー彗星に匹敵する大きさだったと推定している。

マンテローラ氏のチームは、分裂した彗星は、同じ年にアメリカで観測されていたポンズ・ブルックス[Pons-Brooks]彗星であった可能性があると考えています。

同じ年の11月には、アメリカ東部で史上最大級の流星雨が記録されています。毎年この時期に出現するしし座流星群は1時間当たり数十から100個程度の流星が現れますが、この時の流星雨はすさまじく、1時間当たり数千個、最大時には1時間当たり5万個の流星が流れたと記録されています。「目撃者は大変な驚きと恐怖を覚え、『この世の終わりだ』『世界が火事だ』と泣き叫ぶ人々もいたという。寝ている人も外が流星で明るいので目覚めるほどだった」(Wikipedia「しし座流星群」より引用)。ただし、この流星雨の母天体はテンペル・タットル彗星とされており、ボニーヤの観測した彗星の分裂とは無関係であるようです。


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