2009年6月28日日曜日

ロック・ピープル (岩の人たち)

私は、スピリチュアル系やニュー・エイジ系の話にはきわめて批判的なのですが、以下の記事には多少共感できるところがあります:
上記記事から一部引用します:
多くの先住民の伝承には、石や岩に棲む意識、あるいは精霊が登場します。年月を経た精霊です。そのような「ロック・ピープル」(岩の人たち)は、地球が誕生したときから存在しています。

「ロック・ピープル」は恐竜、彗星、木生シダの林、そして初期の人類を見ていました。彼らは、この惑星の大陸プレートが押し合いへし合いするのも経験しています。彼らは、いくつもの火山噴火、地震、隕石の衝突を経験しています。彼らは、無限とも言えるほど長い時間、日差し、風、雨、氷河期と温暖期を経験しています。彼らは海、川、水流によって激しく揺り動かされてきました。
上記に続けて、この記事の筆者は次のようなことを述べています ―― ある時、特別な石に出会った。形と色に引きつけられ、家に持ち帰った。自分の人生を大局的に展望する必要が生じるたびに、その石を手に取り、その石が太古から見聞してきたことに思いをはせる。そして、その石の未来についても考えてみる。その石は、私の肉体や、現在地球上に存在しているあらゆる生き物の肉体よりも長く存在し続けることだろう。このような石の存在を眼前にすると謙虚にならざるをえない。このような永続性と悠久の歴史を目の前にすると、自分の苦労や心配事は小さく、大して意味のないことに思えてくる。

記事の筆者が最後に引用しているのは Jamie Sams という人の「ストーン・ピープル」と題する詩です。

私は、石や岩の中に意識があると考えたり、精霊の存在を仮定したりすることはありませんが、石を眺めながら物事を考えることはよくあります。手に取るのは旅先や出張先で拾ったり購入したりした石や化石です。最近よく手にするのは、オーストラリアで買った長径 7cm ほどのオパールの原石です。焦げ茶色の岩石(砂岩?)の中に金色の微粒子が散らばっているような石で、その中に薄いオパールの層が 2層入っています。オパールの一部は石の表面に出てきており、光りの当たり具合によって緑・青・紫などに光ります。特に緑の輝きが美しく、飽きることがありません。おそらく白亜紀に堆積した砂岩だと思うのですが、そのころのオーストラリア・プレートの位置や環境、石の周囲を徘徊したり泳ぎ回ったりしていた生物の姿などを思い浮かべると、そのような経験をしてきた石が巡りめぐって今自分の手の上にあることが何とも不思議に思えてきます。

今いちばん手に入れたいと思っているのは、オーストラリア南部・フリンダーズ山地で産出するエディアカラ生物群の化石です。まだ捕食動物が出現せず、弱肉強食の生存競争が存在しなかったとも言われる先カンブリア紀の暖かい浅瀬、そのような「エディアカラの楽園」で穏やかに繁栄していた動物とも植物ともつかない無防備な生物たち。そのような生き物の形見を手にのせて、生物草創期の楽園に思いをはせてみたいものだと思っています。

以下は、エディアカラ生物群の画像集です: