2009年11月3日火曜日

イブン

先日、岩波新書を一冊買ったのですが、その本に挟まっていたしおりの裏に、次のようなことが書かれていました:
イブン    『広辞苑を散歩する』 13

アラビア語の人名で、「イブン = A」と言えば「A の息子」。世界史で習うイブン=バットゥータやイブン=ハルドゥーンはその例。A が父親の名前とは限らず、「イブン = マルヤム」は「マリアの子」すなわちイエス=キリストを指す。反対に、「B の父」は「アブー = B」。憶えにくい人名も、こうした用法を知れば親しみやすくなるのでは。
イブン・バットゥータは世界史の授業で習った記憶があります。ただし、私の記憶している表記はイブン・バトゥータですけれど。彼は、14世紀のモロッコ出身のイスラム法学者にして大旅行家。人生の大半を旅行に費やして世界各地をめぐり、中国にまで到達しています。

もう一人思い出すのは、イブン・ファドラン。こちらは世界史の授業ではなく、マイケル・クライトンの小説『北人伝説』の主人公です。10世紀に実在した人物で旅行記を残しています。マイケル・クライトンはこの旅行記をもとに、小説の構想を膨らませたようです。小説では、イブン・ファドランはアッバース朝の都バグダッドから、使節として遠方の王国に派遣されます。その旅の途中で、北欧のバイキングの一団と行動をともにすることになり、北方の食人部族との戦いなど、さまざまな冒険をするという筋書きです。おもしろいと思ったのは、この食人部族がわれわれと同じホモ・サピエンスではなく、ネアンデルタール人の末裔であると暗示されている点です。小説のタイトルにある「北人」はこの食人部族を指していると思っていたのですが、今ネットで検索して調べてみるとバイキングの方を指しているようです。

「イブン」と同じような働きをする言葉は英語にもあります ―― 「Mac(Mc)」、「O'」、「Fitz」などです。たとえば、マクドナルド(Macdonald, McDonald)=ドナルドの息子ですし、シカゴ国際空港の名前になっているオヘア(O'Hare)や、故ケネディ大統領(John Fitzgerald Kennedy)のミドル・ネームであるフィッツジェラルドも同様です。

日本語でこのような「~の息子」を意味するような言葉は思い当たりません。しいて言えば、「田原(俵)藤太」や「悪源太」などが似ているでしょうか。前者は、田原を本拠とする藤原家の長子(嫡男)を意味し、平安時代の武将・藤原秀郷を指しています。平将門の反乱を鎮圧したことで有名です。後者の「源太」は、源家の長子(嫡男)を意味し、源義平を指しています。鎌倉幕府を開いた源頼朝の兄です。「悪」にはものすごく強いという意味があるそうです。

息子ではありませんが、「~の女(娘)」や「~の母」という言い方がありました。昔は女性の名前を表に出さなかったため、このような表記になったのだと思います。たとえば、『更級日記』の著者は「菅原孝標女」、『蜻蛉日記』の著者は「藤原道綱母」です。