安政2年10月2日(西暦1855年11月11日)午後10時ごろに関東地方南部を震源として発生した安政江戸地震(推定M7前後)の前には様々な異変が現れていたようですが、その中でも特に気味の悪いものを紹介します。畑銀鶏編『時雨廼袖』に載っている目撃談です。現代文に直してみました:
友人の山田文三郎は号を重山といった。(中略) 深川六軒堀に住んでいた。
地震の当日、用事があって品川宿まで出かけ、夜になってから自宅に帰る途中、芝神明(芝大神宮、東京都港区芝大門に鎮座)の前を通りすぎるとき、天窓注の上から「グン引」という音が響き渡ってきたので何気なく振り返って見ると、張り子の大天窓注ほどの大きさの坊主の首が火のついた木を喰えて、東から西の方に飛んで行ったということだ。体の上半分は見えたが、下の方は見えなかったとのこと。
重山はこれを見て血の気が失せて顔が土気色となった。急いで家に帰ろうとするときに例の大地震の揺れが始まったため、一歩も歩くことができなくなった。2~3度ほど揺れのせいで倒れたものの、ようやく立ち上がったときには、道の両側の家々の屋根から瓦が残らず落下し、土蔵の壁は揺れ動き、その音はまるで山が崩れるときのようであったという話だ。
この怪異は浅草駒形あたりの人々2~3人が同じ時刻に目撃したという話をする者がいる。
「火のついた木」とあることから、地震直前に何らかの発光現象(人魂のようなもの?)が発生したのかも知れません。
『時雨廼袖』の原文は、『地震前兆現象 予知のためのデータ・ベース』(力武常次、東京大学出版会、1986)を参照しました。原本は以下でも見ることができます:
注: 「天窓」と「張り子の大天窓」は意味がよくわからないので、そのままにしています。道の両側にある民家か芝神明の建物に天窓があったのでしょうか。
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