2016年8月7日日曜日

坊主の首火の付たる木を喰へて、東より西の方へ・・・


安政2年10月2日(西暦1855年11月11日)午後10時ごろに関東地方南部を震源として発生した安政江戸地震(推定M7前後)の前には様々な異変が現れていたようですが、その中でも特に気味の悪いものを紹介します。畑銀鶏編『時雨廼袖』に載っている目撃談です。現代文に直してみました:
友人の山田文三郎は号を重山といった。(中略) 深川六軒堀に住んでいた。

地震の当日、用事があって品川宿まで出かけ、夜になってから自宅に帰る途中、芝神明(芝大神宮、東京都港区芝大門に鎮座)の前を通りすぎるとき、天窓の上から「グン引」という音が響き渡ってきたので何気なく振り返って見ると、張り子の大天窓ほどの大きさの坊主の首が火のついた木を喰えて、東から西の方に飛んで行ったということだ。体の上半分は見えたが、下の方は見えなかったとのこと。

重山はこれを見て血の気が失せて顔が土気色となった。急いで家に帰ろうとするときに例の大地震の揺れが始まったため、一歩も歩くことができなくなった。2~3度ほど揺れのせいで倒れたものの、ようやく立ち上がったときには、道の両側の家々の屋根から瓦が残らず落下し、土蔵の壁は揺れ動き、その音はまるで山が崩れるときのようであったという話だ。

この怪異は浅草駒形あたりの人々2~3人が同じ時刻に目撃したという話をする者がいる。

「火のついた木」とあることから、地震直前に何らかの発光現象(人魂のようなもの?)が発生したのかも知れません。

『時雨廼袖』の原文は、『地震前兆現象 予知のためのデータ・ベース』(力武常次、東京大学出版会、1986)を参照しました。原本は以下でも見ることができます:

: 「天窓」と「張り子の大天窓」は意味がよくわからないので、そのままにしています。道の両側にある民家か芝神明の建物に天窓があったのでしょうか。


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