上記の論文には〝New Iran〟紙の記事の英訳が載っています。イラン語(ペルシャ語)からの英訳なので多少わかりづらい点がありますが、日本語訳を試みました:
注目に値する発見 ―― 12年前の1897年のある夜、私が電信機を操作していた時のことです。電信機の磁極が異常な動きをしたので私はびっくりしました。そして、その数秒後に地震があったのです。大地に電流が励起されたために、電信線に接続された2つのコイルに電流が流れ、電信機の磁針を振れさせたのだ、と私は確信しました。
そうであるならば、地震の直前に警告を出すもっと精巧な装置を作ることが可能です。私が最善を尽くせば、命に関わる数秒間に人々の命を救うことができると考えました。原理はわかったものの、12年前に磁針が異常な動きをしたとき、私は何もすることができませんでした。それ以来、私は自宅で苦労しながら限られた道具を使っていくつかのコイルを自作しましたが、満足のいくものではありませんでした。
(論文著者の注 ― 磁針の異常な動きによって地震を感知したときに彼が使用していた銅線を使ったコイルと磁針の原理を記述した後、彼は次のように続けている)
コイルから出ている2本の導線の一方は井戸の中のアースに接続、もう一方は電池(注)に接続します。別の導線を電池の炭素棒につなぎ、他端は約50m離れたところにある別の井戸のアースにつなぎます。事情があって4年間は回路に電流を流しませんでしたが、その間、ケルマーン州では地震がありませんでした。
その後、回路を接続した状態に保つようになってから数年が経過した1909年10月27日、日没から4時間たったころ、私は12年前の1897年に異常を経験したときと同じ机に向かって腰掛けていたのですが、回路に電流が流れ、磁針が振れたのです。私は自分の時計をつかみ仕事部屋を飛び出し、居住者に急いで屋外に避難するように告げたのです。その6秒後に地震が襲ってきました。
ヨーロッパでもこのような異常が検証されているのか、私は知りません。とにかく、大地の運動によって地中に電流が励起され、内部にアースを設けた2つの井戸の間の大地を流れたのです。電気が電池やコイルを流れ、結果として磁針を左右に振れさせたのです。地震が起きたのは、この異常が観察されてから6秒後のことでした。知識のある方ならば気づかれるように、これらの現象は瞬く間に起こり、あまり余裕がありません。
しかし、もっと精密な装置を作ったならば、地震が感じられるのは磁針の異常な動きが現れてから数分後のことになる、と私は確信しています。そして、もしそのようなシステムが大きな鐘に接続されたならば、その音をすべての人が聞くことができて、その人たちの命が救われることでしょう。
19世紀、ニュージーランド、スイス、チリなどの電信オペレーターの間では、電信機が自然現象を記録するのに有用であるということが知られていたとのこと。しかし、電信オペレーターかつ会計係であった Yusef 氏は次の段階に進んで、地震警報システムの構想を〝New Iran〟紙に投稿した点が他とは異なっていた、と論文は評価しています。
地震警報システムのアイディアを世界で最初に提案したのは J.D. Cooper 氏と認められていて、それは Yusef 氏の提案よりも前の 1868 年のことでした。しかし、論文では、当時のイランでは識字率が 5% 未満で新聞がほとんど普及しておらず、砂漠の縁の辺鄙な街に住む Yusef 氏がアメリカの新聞を読んで Cooper 氏の提案を知っていたとは考えられない、と述べています。
(注) 原文では〝a pile of a battery〟となっています。〝pile〟というとボルタの電堆が思い浮かびますが、それが発明されたのは1794年。Yusef氏が地震警報システムにとりくんでいたのは、それからほぼ100年たったころですのでもう少し進歩した電池があったと思われます(Wikipedia の電池の歴史の項を参照してください)。〝a pile of batteries〟となっていない点もよくわかりません。
(完)
関連記事
- 地震予報 4月末 イラン南部 M5.0~6.0 (09年4月17日)
- 検証 「地震予報 4月末 イラン南部 M5.0~6.0」 (09年5月12日)
- シュメル神話の中の地震 (09年11月2日)
- イランが首都移転計画をスタート (09年11月2日)
- イランの地震で負傷者 700人以上 (09年11月4日)
- 地震に危機感 ― イラン (10年2月12日)
- ブーブクエイク (オッパイ地震) (10年4月26日)
- イランが地震予知衛星を計画 (12年3月2日)