2013年10月4日金曜日

1909年のイランで地震警報成功 (その 1)


1909年、イラン南東部ケルマーン州の砂漠の縁にある辺鄙な街。そこに住む電信オペレーター(電信機を使って電報の送信や受信をする)が、地震に先立って起きる電信機の磁針の異常な動きに気づいて近隣住民を避難させていました。この事実を伝えたのは1909年に発行されたイランのローカル新聞〝New Iran〟で、このほど、それを紹介する論文がアメリカ地震学会の Seismological Research Letters に掲載されました:

以下は、上の報道記事の元になった論文です:

上記論文によると、このオペレーターが使っていたのは19世紀末に普及していたホイートストン-クック型の電信機。電信オペレーターの名は Yusef (英語の Joseph に相当)。

彼が最初に、地震の前に現れる電信機の異常に気づいたのは、1897年5月27日、州都ケルマーン(地図)の北北西約25kmで発生した地震の時。この地震は、表面波マグニチュード > 5.5、最大震度は改正メルカリ震度階級で 8 前後(きわめて強い、重い家具が転倒し、多くの建造物が一部損壊する)と推定されています。

彼が電信機の異常にもとづいて住民に避難を呼びかけたのは、それから12年後の1909年10月27日に発生した Jowshan 地震の直前。この地震の規模は表面波マグニチュード > 5.5、最大震度は改正メルカリ震度階級で 7+(「7」は、非常に強い。立っていることが難しい。軽い家具が転倒し、造りの弱い建造物が一部損壊する。自動車を運転している人の多くが揺れを感じる)と推定されています。


(続く)