2015年12月25日金曜日

浅間山噴火、甲斐武田氏滅亡、大彗星出現、本能寺の変


1582年(天正10年)前半には天変(大彗星出現)と地異(浅間山噴火)が続いて起こり、それが先触れしたかのように人の世にも大きな変動が起こりました。

1月、織田・徳川連合軍の甲斐・武田領への侵攻が始まります。かつては精強を誇った武田方の防衛線はあっけなく崩壊し、武田領は織田の支配下に入ります。

▼ 2月14日
さらに二月十四日夜には、浅間山が大噴火を起こした。この噴火は天空を赤く染め、京都や奈良でもそれが観測されたという。当時の人々の間では、甲斐・信濃などの東国では、異変が起こると浅間山が噴火すると信じられており、今回の噴火は信長に勝頼を守護する神々がすべて払われてしまった結果であって、一天一円が信長に随うようになる前兆だと噂された。(中略)ただでさえ低下していた勝頼の求心力は、織田・徳川連合軍の侵攻とともに浅間山の噴火で雲散霧消してしまった。
(平山優著『真田三代 幸綱・昌幸・信繁の史実に迫る』、PHP新書761、2015)

▼ 3月11日
武田勝頼自刃

信長にも不吉の影が差します。

▼ 2月14日、2月22日
二月十四日の夜十時ごろ、キリシタン宣教師らは不吉な前兆を目のあたりにした。東の空が明るくなり、安土城天守閣の上方はとくに赤く見えた。やがて、二十二日の夜九時ごろには、大彗星が現れ、数日間にわたって輝きつづけたすえ、その彗星らしき物体が安土山に落ちた。安土の住院(?)の七~八人がこの光景を目撃し、恐ろしい事件のおこる前兆ではないかと心配したという。
(『読める年表・日本史』、自由国民社、1992)

▼ 6月2日早暁
本能寺の変、織田信長自刃

キリシタン宣教師らが目撃した「東の空が明るくなり、・・・ 赤く見えた」という現象は、浅間山の噴火の激しさを物語っています。