1930年(昭和5年)11月26日に、伊豆半島北部を震源として発生した北伊豆地震は、M7.3、震源の深さは極めて浅く 1km、最大震度6(烈震)で、東北地方南部から中国地方までの広い範囲で揺れを感じ、大きな被害をもたらしました。また、各地で地鳴りや発光現象が報告されています。
この地震はフィリピン海プレート内で起きた横ずれ型の内陸地震で、丹那断層の活動によって生じたとされています。全体として断層の東側が北向きに動き、丹那盆地では水平に最大約 3.5m、上下に最大約 2.4m ずれたことがわかっています。
当時、震源近くでは丹那トンネルが建設中で多くの坑道が掘られていたので、地震に際しての断層の動きについて詳しいデータが得られました。そのため、北伊豆地震は断層と地震の関係が明らかになった地震とされています。
以下は『決定新版 日本の地震地図』(岡田義光、東京書籍(株)、2019)からの引用です:
地震の発生する20日前の11月7日ころから前震が著しく、13日には体に感じる地震も混じるようになり、地震前日の25日には M5.0 のかなり強い地震がありました。また、伊東市沖ではこの年の2月13日から5月末にかけて激しい群発地震活動があり、3月9日には M5.3、3月22日には M5.9、5月17日には M5.8 の地震をともないました。この群発地震で、伊東市付近の南北約 10km の範囲が最大約 10cm 隆起したことが測定されています。
このような地震の発生状況を受けて、当時の中央気象台(現・気象庁)は大きな地震の発生の危険があると判断していたようです。
「今回の地震については気象台では十数日来の地震頻発の模様より見て既に危険性ある事を認め(中略)2日に渉って出張調査した結果、いよいよその憂ひを深めるに至り、岡田台長も容易ならぬ事とし極秘裏に静岡、神奈川両県知事並に内務部長等と慎重協議し(中略)予想よりも早くあたかもその朝遂にこの大地震突発を見たもので、気象台でも返す返す残念がっている」:
- 地震予知に初めて成功しそうだった91年前の北伊豆地震 (写真、地図あり)