最近読んだ『藤原道長の日常生活』(倉本一宏、講談社現代新書、2013)から:
平安貴族にとっては、地震というのは災害というよりは天による災異として認識されていたのであろう。
中国では後漢以降、地震は后妃・宦官・外戚の専横によって起こるという観念が生まれ、それが導入されたという考えもある。日本の陰陽寮において教科書とされた『晋書』では、地震(特に音をともなうもの)は君主が暗愚で后妃や臣下の専制によるとされていた。何人もの后妃を天皇に入れ、臣下の代表であった道長が地震を気にしたというのも、理解できるところである。
そういえば、東日本大震災のときの総理大臣は夫人に頭が上がらず、夫人「依存症」とか。平成の次の御代も心配です。
関連記事
- 藤原教通が見た二星会合 (09年7月29日)
- 卯年に起きた大惨事 (11年1月9日)
- 大地震の多い月、日、曜日、えと (11年10月30日)
- 貞観地震 (その1) (12年3月11日)
- 白虹(はっこう)日を貫く ― 埼玉県さいたま市 (12年5月26日)
- 熒惑守心(熒惑心を守る) (12年9月30日)
- 天文は変を告げ、地理は妖を呈す (12年10月13日)
- 富士川の「予言」 (13年6月23日)
- 「富士山の姉」はなぜ背が低い (13年7月5日)