2016年2月3日水曜日

歌詞が現実になる? (その4)


もう一つ、歌詞が現実になった事例として幸田露伴が「震は亨る」の中で挙げているのは、奈良時代の末期、称徳天皇(孝謙天皇の重祚)から光仁天皇(白壁王)へ皇位が継承される前に歌われた童謡(わざうた)です:
葛城寺の前なるや 豊浦寺の西なるや おしとど としとど
桜井に白璧(しらたま)しずくや 好(よ)き璧しずくや おしとど としとど
然(しか)すれば 国ぞ昌(さか)ゆるや 吾家(わぎえ)らぞ昌ゆるや おしとど としとど

(葛城寺の前だろうか 豊浦寺の西だろうか 桜井の井戸に白璧が沈んでいるよ好い璧が沈んでいるよ そうすれば 国が栄えるか われらの家が栄えるだろうか)

この時、白壁王の妃は井上内親王であった。識者は、「井」とは井上内親王の名であり、「白璧」とは天皇の諱(いみな)をいっている、おそらくこれは白壁王が即位するだろうということを諷したものであろうと思った。

『続日本紀(下) 全現代語訳』(宇治谷孟、講談社学術文庫、1995)から引用

よく似た漢字が使われていますが、上記の童謡の「白璧(しらたま)」は「璧」、天皇の諱である「白壁王(しらかべおう)」は「壁」です。

称徳天皇は聖武天皇の娘で独身のため実子がなく、さらに相次ぐ権力争いや陰謀によって皇位継承候補の皇族が粛正されたり自殺に追い込まれるなどしたために、壬申の乱以来続いて来た天武天皇系の男系皇族がいなくなっていました。そのような状況から、当時の天皇家からみれば傍系ですでに60歳を過ぎていた白壁王に白羽の矢が立ち、即位して光仁天皇となりました。

光仁天皇は知名度が低いと思いますが、大化の改新でよく知られている天智天皇の孫で、平安京遷都をおこなった桓武天皇の父親です。

光仁天皇には天武天皇系の井上内親王との間に生まれた他戸親王(おさべしんのう)があり、皇太子になっていました。しかし、天皇を呪詛したという大逆の罪に問われ、母子ともに幽閉先で不自然な死を遂げています。替わって皇太子の地位についたのは、朝鮮半島・百済国王の後裔を称する渡来系氏族出身の高野新笠(たかののにいがさ)と光仁天皇との間に生まれた山部親王(桓武天皇)です。光仁天皇以降、天武天皇系から天智天皇系に皇統がもどり、現在まで続いています。

(続く)


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