2009年2月16日月曜日

281年後の余震

このブログに書きそびれていたのですが、昨年末、12月21日にアメリカ・マサチューセッツ州で M1.8(深さ 10km)の有感地震がありました。この地震は、なんと 281年前におきた大地震の余震であるとのことです。281年前(1727年)というと、アメリカ合衆国建国の約 50年前で、日本は第八代将軍徳川吉宗の治世です:
こんなに長く余震が続くのは珍しいと思います。でも、ひょっとすると、一般の地震の中にも過去の大地震の余震が含まれているのに、余震だとは認識されていないだけかもしれません。アメリカ東部のように地震の少ない地域だからこそ、余震の識別が可能であったとも考えられます。上記記事によると 1727年の大地震以降、同じ地域で余震が続いており、最近は数年に一度のペースで発生、前回の余震は、2007年10月で規模は M1.3 であったとのことです。

1727年の大地震は、ニューベリーポート大地震とも呼ばれており、規模は M5.6 です。大した地震のようには思えませんが、震源が浅かったためか、当時アメリカ東海岸に建設されていた 13の植民地のほぼ全域にわたって、すさまじい被害が出たようです。以下は、USGS(米国地質調査所)のサイトに掲載されている当時の記録です:
当時の記録には大地震発生にいたるまでの気象や宏観前兆と思われる現象なども記載されています。少し抜粋して紹介します:
大地震は 1727年10月29日におこった。(現在の暦では 11月10日になります。当時はユリウス暦が使われていましたが、後にグレゴリオ暦が採用され現在に至っています。)

6月中旬から9月中旬にかけて干ばつが続いた。7月から 8月第1週までは異常に暑かった。5月に 2回にわか雨が降った以外は、4月の第1週以降まったく雨が降らなかった。大地は深部まで乾燥し、これまで枯れたことのなかった井戸や泉が干上がった。

雨がほとんど降らないにもかかわらず、稲妻や雷が非常に多かった。蒸し暑かった 8月1日の夜、数時間にわたって非常に激しい稲光と雷鳴があった。稲光があまりにも頻繁に発生するため、「空が火事になった」と書き記した者もいる。

干ばつは、9月16日の非常に強い嵐によって終わった。この嵐で高潮がおき、多くの船が流されるなどの被害があった。

10月24日は非常に寒かった。3日後には雪が降り、28日はこの季節としては異常に気温が低かった。

10月29日(日)は、晴れて気持ちの良い日だった。夜には月が明るく輝き、風もなく静かであった。多くの人びとが寝入った午後 10時40分ごろ、恐ろしい騒音に続いて轟音と衝撃が襲ってきた。

多くの人びとが地震の直前に閃光が走ったと語っている。また、地表に炎が走ったとも。轟音と震動は北西の方角からやって来て、南東の方角に去っていった。2分間以内ですべてが終わった。

午後11時に大きな余震がおこった。その後も余震が続いた。

いくつかの高台が湿地となり、これまで沼地であった場所が隆起した。ある牧場では泉が新たにわき出した。発見されてから 80年間にわたって熱い水が湧きだし凍ることのなかった泉が枯渇し、後には普通の天候でも凍結するようになった。いくつかの井戸では水質が良くなったが、水質が悪化したり、干上がったり、水温が大きく変化したりした井戸もあった。

ある井戸は、深さ 10~20メートルあったが、いつも甘みのあるきれいな水をたたえていた。地震の 3日前、その水が悪臭を放つようになった。水を室内に持ち込むと、数分で耐えられなくなるほどの悪臭だった。井戸に何かの死体が投げ込まれたのかも知れないということで調べたが、水が白く濁っていること以外、何も見つからなかった。この状態が地震の 7日後まで続いたが、その後、水質は改善し始め、さらに 3日後には完全にもとの状態にもどった。