2016年12月25日日曜日

西暦992年、夜空が怪しく輝いた (その2)


12月25日付「西暦992年、夜空が怪しく輝いた (その1)」の続きです。

西暦992年は日本では平安時代で一条天皇の治世です。数年後には藤原道長が左大臣に就任し、摂関政治が最盛期を迎えることになります。私が調べた限りではオーロラかそれに類するような記録はないようです。また、大地震などの天変地異の記録もありません。

エセルレッド無策王(エセルレッド2世)については、『世界大百科事典』(平凡社)に次のように記載されています:
ウェセックス王家のイングランド王。在位978-1016年。エドガー王の子。異母兄エドワード殉教王が謀殺されたため即位(謀殺は彼の指図といわれる)。決断力を欠いたため〈怠慢王the Unready〉〈不決断王the Redeless〉とも呼ばれる。しばしばバイキングの大規模な侵入を受け,そのつど巨額の宥和金(デーンゲルド)を支払って平和を購い,その重税により国民を苦しめた。1013年デンマーク王スベン1世が侵入した時には,国土・人民をすてて妃の出身地ノルマンディーに亡命。翌14年帰国したがまもなく没。その後国土はスベンの子クヌット2世に征服された。

人類が経験した最強の太陽嵐とされる1859年9月のキャリントン・イベントについては Wikipedia に次のような記述があります:
1859年9月1日から2日にかけて記録上最大の磁気嵐が発生した。カリブ海沿岸等世界中でオーロラが観測され、ロッキー山脈では明るさのために鉱山夫が朝と勘違いして起きて朝食の支度を始めてしまうほどであった。アメリカ北東部でたまたま起きた人はオーロラの明りで新聞を読むことができた。

ヨーロッパ及び北アメリカ全土の電報システムは停止した。電信用の鉄塔は火花を発し、電報用紙は自然発火した。電源が遮断されているのに送信や受信が可能であった電報システムもあった。

太陽活動との関連は不明ですが、日本では1854年ごろから被害地震が増え、1854年には1年に5回、1855年と1858年には各6回の被害地震が発生しています。その中には安政東海地震や安政南海地震、安政江戸地震が含まれています。1859年には3件の被害地震が発生していますが、キャリントン・イベントの1ヵ月後に石見国で発生した M6.0~6.5 と推定される地震は、「島根県那賀郡で強く、周布村でも潰家や地割れがあった。広島城内でも被害があった」(『理科年表』)と記録されています。


(完)