昨年3月11日の東北地方太平洋沖地震は1000年に1度の大地震、あるいは貞観地震の再来と言われています。貞観地震は西暦869年に東北地方を襲った大津波を伴う大地震ですが、この地震の前にはさまざまな天変地異、干ばつや長雨による飢饉、疫病の流行、大きな事件などが起きて人々の不安が高まっていました。
「天文は変を告げ、地理は妖を呈す」(天文告變、地理呈妖)という言葉は、清和天皇が貞観地震発生の1年半ほど前に出した勅令の冒頭に書かれているものです。当時の不安な世相を表しているのでしょうが、大地震の襲来を予期していたかのようでもあります。この「天文の変」と「地理の妖」が何を指しているのか、『歴史のなかの大地動乱 ― 奈良・平安の地震と天皇』(保立道久、岩波新書、2012)から引用します:
前者の「天文の変」とは、昼間の星・流星、太白(金星)と太陽の接近、日蝕、彗星などの異変が連続したことで、「地理の妖」とはいうまでもなく、豊後国鶴見岳、肥後国阿蘇山の噴火である。また、京都有感地震の記録は、前年は10回、この年も9回、1月から10月までほぼ毎月。たしかにこれだけの異変があれば、何らかの不吉の前兆とみるのは自然なことであったかもしれない。
引用文中には書かれていませんが、「豊後国鶴見岳、肥後国阿蘇山の噴火」の3年前(864年)には富士山噴火や阿蘇神霊池噴火もおきています。この時の富士山の噴火は、歴史上最大級で、流れ出した膨大な量の溶岩によって今日の青木ヶ原樹海の地域が埋め尽くされ、もともとあった大きな湖が分割されて精進湖と西湖になりました。
ちなみに、人間界では866年に応天門炎上事件(応天門の変)が発生、公卿の序列第5位の伴善男が流罪となり失脚、配流先で没し怨霊となったと考えられました。序列2位・3位・4位の公卿も相次いで死去します。貞観地震の直前には新羅人による襲撃事件(貞観の入寇)も起きています。
このように見てくると、貞観地震の前にはさまざまな天変地異が相次いでいたことがわかります。それに比べると、昨年3月11日の東北地方太平洋沖地震の前には、これといった「天変地異」が少なかったように感じるのですが、どうでしょうか。もしかしたら、東北地方太平洋沖地震はさらなる天変地異の襲来を告げる予兆の一つに過ぎないかのかも知れません。
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