しかし、この大災害について、異なる見方をする人たちもいます。その筆頭は、アメリカのテレビでキリスト教の伝道をおこなっているパット・ロバートソン(Pat Robertson)師です。この人物は、これまでにもたびたび過激な発言をして、顰蹙を買っています。今回は、「ハイチはフランスからの独立を勝ち取るために悪魔と契約した。それ以来、ハイチは呪われている。ハイチが繰り返し災難に逢うのはその報いだ」という主旨の発言をし、アメリカ政府からも非難されています。もう一人は、ラジオ・トークショーのホストであるラッシュ・リンボー(Rush Limbaugh)氏です。彼は、ハイチに対して寄付をする必要はない、という主旨の発言をしています。日本語での報道は少ないですが、英語圏のニュースではロバートソン師に次ぐ扱いです。
パット・ロバートソン師の発言を伝える記事:
ラッシュ・リンボー氏の発言を伝える記事:
一般の人たちの中にも、ハイチに対して冷ややかな視線を送る人たちがいます。以下は、『シアトル・タイムズ』紙に掲載された一般読者からの投書です:
- Haiti: alternate viewpoints (ハイチに対する別の視点)
Squandered decades of help (浪費された数十年間の援助)
私はハイチに対してほとんど同情していない。彼らは数十年にわたって続けられてきた海外からの支援を浪費してきた。その数十年の間に、教育、人口抑制、政治の改革、環境の修復、産業の育成、観光の振興によって、より良い社会基盤と強く安全な建物を作り上げる資金を調達し、彼らの国を強固にするべきだったのだ。Evidence of pact with the devil: The Dominican Republic (悪魔との契約の証拠: ドミニカ共和国)
聖書に載っている「善きサマリア人」は道ばたに倒れている傷ついた人を助けたが、その人の面倒を一生見続けたわけではない。ハイチの今回の危機が終わったとき、ハイチ人たちはもとの安穏な状態にもどり、各国政府や慈善団体はイネイブラー(助けてあげるつもりでやったことがかえって相手のためにならないようなことをする人。身近な人が悪癖や犯罪などに染まっていくのを黙認ないしは放置している人)であり続けようとするのだろう。
Pat Robertson 師が「ハイチは呪われている」と語ったことは間違っていると私も思うが、Rush Limbaugh 氏が「(ハイチに対して)寄付をするな」とコメントしたことには同意したい気持ちだ。
災厄について Pat Robertson 師が霊的蓋然性を云々するのはかまわないが、霊的必然性を語るのはいかがなものか。キリスト教の説く天地創造のストーリーでは、このすばらしい世界は、人間の犯した原罪のゆえに衰退し壊れていくことになっている。それゆえ、神とか悪魔とかが、個々の困難の発生に介在する必要はもはやないのである。地震後のハイチの惨状を伝える報道では、多数の死体が写った写真が掲載されました。今回のハイチの報道に限らず、アメリカの災害報道や戦争報道では、一般にアフリカ系、アラブ系、アジア系の死体の写真は掲載されるのに、アメリカの白人のそのような写真が掲載されることはまれです。この点に暗黙の人種差別を感じる向きもあるようです。以下の文の投稿者は、名前から判断して中国系のようです:
そうは言うものの、ハイチとドミニカ共和国の格差は示唆に富んでいる。この二つの国は、ともにイスパニョーラ島という島の上にある。ハイチはフランスから独立し、ドミニカ共和国はそのハイチから 1844年に分離独立した。ハイチの宗教はブードゥー教であるのに対して、ドミニカ共和国のそれはカトリックである。ハイチでは伝統的に独裁政権の悪政が続いたのに対して、ドミニカ共和国は民主主義の共和国である。ドミニカ共和国の GDP は順調に成長して 781.9億ドルに達し、一人あたりの国民所得は 8200ドルである。一方、ハイチの GDP は 69.5億ドルで、一人あたりの国民所得は 1300ドルである。
伝統的なキリスト教の考えでは、人間の暮らしは自分たちの選択の結果であって、神がその選択を覆すことはないとされている。フランスからの独立と引き替えに悪魔と契約を結んだことによって、ハイチ人たちは悔い改めない限り、悪魔がありとあらゆる無理難題な要求をし続けることだろう。キリスト教徒の視点では、ドミニカ共和国の住民はこの罪を悔い改めたので、繁栄しているということになる。
Bodies imply racism (遺体は暗黙の人種差別を示している)
(ハイチの地震報道で、多数の死体が写った写真が掲載されることについて)アメリカ人以外の損傷した死体の写真が掲載されることはあっても、アメリカ人のそれが決して載せられることがない点に、隠れた人種差別を見て取り、私はいつも困惑しています。囚人、少数民族、貧困層の遺体を医学実習の解剖に供し、また、引き取り手のない中国人の遺体を営利目的の人体展示会で陳列物として扱ってきた合衆国の暗い歴史を考えると、わが国のような進歩的な国家にも、依然として人種差別主義とエリート主義が残っていることは明らかです。ハイチからのショッキングな報道写真については、本当に必要なのか否か、論争が起きています:
私が他者の災難を積極的に見たいと望んでいるわけではないことは言うまでもありませんが、もし貴紙(シアトル・タイムズ)がアメリカ人以外の遺体の写真を掲載するという選択をするのであれば、わが国の軍隊の戦死者や災害や災難の犠牲者の遺体も等しく掲載するべきです。そうでないのであれば、死体の写真は一切掲載すべきではありません。人によって、その死が尊厳を保って報道される場合と、単なるエンターテインメントとして伝えられる場合があり、ダブル・スタンダード(二重規準)があると言わざるをえません。
- Disaster Photography: When Does It Cross The Line? (災害の報道写真: いつ一線を越えてしまうのか? 問題とされた写真あり)