源平の争乱が終盤に近づきつつあった寿永2年(1183年)、平氏一族は天皇・神器を奉じて西海に逃亡し、 源頼朝は木曽義仲追討のために弟の範頼と義経を上洛させました。その翌年早々の出来事です:
鹿島社では 1184年(元暦元年)正月23日、禰宜らが使者を鎌倉に送り、去る19日社僧に鹿島の神が義仲ならびに平氏追討のために京都へ赴くという夢想があったが、20日の戌の刻[午後8時 ±1時間]に黒雲が社殿を覆い、四方ことごとく暗くなり、御殿は大振動し、鹿・鶏など多く群がり集まった。しばらくしてその黒雲は西の方へと渡っていったが、その雲の中に鶏が 1羽いるのを人が見た。これは希代の奇瑞であると報じてきた。これを聞いた頼朝は、斎戒して庭上に降り、はるかに鹿島社の方を遙拝し、いよいよ崇仰の思いを強くした。ちょうどその奇瑞の時刻には鎌倉・京都とも、雷や地震があったという。(『頼朝の精神史』 山本幸司著、講談社選書メチエ、1998 から引用)
鹿島社の報告したことが実際に起きたのであれば、宏観異常の可能性があると思うのですが、どうでしょうか。
時期的には少し離れていますが、1185年8月6日(ユリウス暦; グレゴリオ暦では 8月13日)(元暦2年7月9日)に文治地震(元暦大地震)が発生しています。Wikipedia の「地震の年表 (日本)」によると:
M7.4、死者多数。法勝寺や宇治川の橋など損壊。余震が2か月ほど続く。琵琶湖の水が北流したという記録がある。鴨長明が『方丈記』で詳述。南海トラフ巨大地震説もあるが、記録は内陸地震の様相であり琵琶湖西岸断層帯南部の活動による説がある。