若狭湾にあった島が地震で沈んだという話が、奈良時代に編纂された『丹後国風土記』の逸文(原本は失われたが他の文書に引用されて残った文章)にあります。
地震が起きたのは大宝元年(西暦 701年)のことです。この地震は『続日本紀』にも「己亥。丹波国地震三日」と記録されています(丹波国を分けて丹後国が作られたのは和銅 6年(西暦 713年)です)。
現代語訳を『風土記 下』(中村啓信監修・訳注、角川ソフィア文庫、2015)から引用します:
大宝元年辛丑(かのとうし)の年三月己亥(つちのとい)に、この国に地震が起こった。三か月間止まなかった。此嶋は一夜にして、見渡す限り一面青々とした海に変わった。かろうじて嶋の中にあった高山の2つの峯は立ち、神岩が海上に出ていた。今、これを常世嶋と号けている。また俗(くにひと)は、男嶋女嶋と呼んでいる。嶋毎に神の祠(ほこら)が有る。祭っているのは、彦火明命(ひこほあかりのみこと)と日子郎女神(ひこいらつめのかみ)である。
若狭湾沿岸部は、関西電力と日本原子力発電の計4原発のほか高速増殖原型炉もんじゅもあり、「原発銀座」と呼ばれています。島が海没してしまうような大地震に耐えられるのでしょうか。
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