2009年11月9日月曜日

カール・セーガン・デー

宇宙科学の分野や、科学についての啓蒙活動で大きな業績を残した故カール・セーガン博士を記念して、今年から「カール・セーガン・デー」が設けられ、11月 7日(土)に最初の催しが行われました。本来は、セーガン博士の誕生日である 11月 9日がその日なのですが、曜日の関係で今年は 7日になったようです:
宇宙における人類の役割についてのセーガン博士の深い思索は、世界中に大きな影響を与えたと思います。博士が残した有名な言葉には、核戦争後の環境を表した「核の冬」や、ボイジャー探査機が 60億キロ離れた地点から撮影した地球の姿を表した「the pale blue dot(青白い小さなシミ)」などがあります。

セーガン博士の業績の大きさは、その名前が太陽系内の 3つの場所に付けられていることからもうかがわれます:
  1. カール・セーガン記念基地(1997年、火星に着陸した NASAの探査機マーズ・パスファインダーの着陸地点)
  2. 小惑星セーガン(=小惑星 2709)
  3. カール・セーガン・クレーター(火星の赤道近くにある直径 9600km のクレーター)
3か所に名を残した科学者は、他にはいないのではないでしょうか。

セーガン博士は、社会の反科学的な動きや、占星術、心霊、オーラ、超能力などのオカルト、UFO 宇宙人乗り物説などなど、数えだしたらきりがない似非(えせ)科学や疑似科学に対する批判にも、多くの時間を割きました。博士の晩年の著作で、博士の遺言とも言える『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』(カール・セーガン、新潮社)から、博士の言葉をいくつか紹介したいと思います。なお、この書物の原題は“The Demon-Haunted World : Science as a Candle in the Dark”で、直訳すると「悪霊に取り憑かれた世界:暗闇のなかのロウソクとしての科学」です。「Demon(悪霊)」とは反科学・非科学的な思考や風潮を指しているのですが、邦題は原著者の意図といささか乖離しているように私は思っています。

科学について:
知識を得るための道具という点では、科学はとうてい完璧などと言えた代物ではない。ただ、人間が手にしている道具のなかでは、いちばん“まし”だというだけのことだ

科学的な思考法は想像力を必要とすると同時に、訓練によって鍛えられたものでもある。そして、まさにその点こそが、科学が成功している理由なのだ。科学は、たとえ予想に反していても、事実は事実として受け入れるようにわれわれを励ます。また、仮説はいくつも用意しておいて、事実にいちばん合うのはどれかを見きわめなさいと教えている。 (中略) 科学が成功したもう一つの理由は、その核心部分にエラー修正機能が組み込まれていることだ。エラーがあれば修正するというのは、なにも科学だけの特徴ではあるまい、と思う人もいるかも知れない。しかし、私に言わせれば、自己批判に努めたり、自分の考えを外界と照らし合わせたりするとき、人は科学しているのである。逆に、ご都合主義にはまり込んで批判精神をなくし、願望と事実を取りちがえているようなとき、われわれは似非科学と迷信の世界にすべり落ちているのだ。
科学者について:
科学によって解明されていないことはたくさんあるし、未解決の謎も多い。何百億光年もの広がりをもち、百億年ないし百五十億年の時を経た宇宙にあっては、すべての謎が解き明かされる日は永遠に来ないのかもしれない。われわれ科学者は毎日のように、予想もしなかった驚くべき事実にぶつかっている。ところが、ニューエイジ思想や宗教の本のなかには、「科学者という連中は、この世には自分たちの発見したものしか存在しないと信じ込んでいる」などと書かれたものがある。たしかに科学者は、神秘的な啓示を否定するかもしれないが、それは、啓示を受けたという本人の申し立て以外には、何の証拠もないからにすぎない。だからといって科学者は、自然界についての自分たちの知識が完璧だなどと思ってはいないのである。
似非(えせ)科学について:
科学を大衆に伝えるのが下手だったり、伝える機会が少なかったりすると、すぐに似非科学がはびこり始める。「きちんとした証拠がなければ知識とはいえない」と考える人たちが増えれば、似非科学のはびこる余地はなくなるはずだ。あいにく大衆文化では、「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則がまかり通っている。つまり、悪い科学は良い科学を駆逐してしまうのだ。
「科学を大衆に伝える」こと、すなわち、科学分野の研究成果などを一般社会に還元するアウトリーチ活動が重要であることは、上にセーガン博士が述べているとおりです。ところが最近は、まともな専門教育を受けたことのない似非科学の徒までが、「自分はアウトリーチをやっているのだ」と言い出すので始末が悪い。

ネット上の地震予知関係の掲示板やブログなどを見ていると、非常に頻繁に似非科学的主張や、反科学的な意見に出くわします。また、そのような場所に正当な指摘や批判が投稿されると、「荒らし」と断罪されたり、削除の憂き目にあったりということが繰り返されています。まさに、「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則が成立していると言えるでしょう。

最後に、私の好きな逸話を同書から引用します:
私はときどき、宇宙人と「コンタクト」しているという人から手紙をもらうことがある。「宇宙人に何でも質問してください」と言われるので、ここ数年はあらかじめ短い質問リストを用意している。聞くところによると、宇宙人はとても進歩しているそうだ。そこでこんな質問をしてみる――「フェルマーの最終定理を簡単に証明してください」。あるいは、ゴルトバッハの予想でもいい。もちろん宇宙人は、「フェルマーの最終定理」という呼び方はしないだろうから、その内容を説明しなければならない。そこで例の、羃指数つきのごく簡単な数式を書いておくのだが、返事をもらったことはただの一度もない。ところが、「私たちは善良であるべきでしょうか?」といった質問をすると、ほぼまちがいなく答えが返ってくる。漠然とした質問には(とりわけ道徳にからむ陳腐な質問には)、宇宙人は喜んで答えてくれるのに、地球人より進んでいる宇宙人なら知っていてもよさそうな専門的な質問をすると、とたんに口を閉ざしてしまうのだ。この落差は何を物語っているのだろうか。