2021年2月3日水曜日

二人のアケチ

 
 中国の正史といえば、邪馬台国や卑弥呼のことが書かれている『三国志』や「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という倭国からの国書を引用した『隋書』が教科書でも採り上げられることが多く有名です。以下に紹介する『明史』はそれほど知名度は高くありませんが、日本について非常に多くの字数を費やして記述しています。主として南北朝時代から戦国時代末期までのことがら、とりわけ倭寇についての記述が豊富です。
 
その記述の中に、アケチという人物について触れた部分があります。「阿奇支(アケチ)」と「明智」という 2通りの表記が使われています。読み下し文を『倭国伝 中国正史に描かれた日本』(藤堂明保・竹田晃・影山輝國、講談社学術文庫、2010)から引用します:
参謀の阿奇支なる者有り。罪を信長に得たり。[信長は]秀吉に命じて兵を統べ之を討たしむ。俄にして信長、其の下の明智の殺す所となる。秀吉、方に阿奇支を攻滅す。変を聞き、武将[小西]行長等と勝ちに乗じ兵を還して之を誅す。威名益振るう。尋いで信長の三子を廃し、関白を僭称し、尽く其の衆を有つ。時に万暦十四年たり。
 
明智光秀と毛利氏(毛利輝元?)を混同しているようなのですが、なぜ毛利氏が「阿奇支」となるのでしょうか。私の思いつきですが、毛利氏の本拠地であった安芸(アキ)国の音が影響したのかも知れません。