『朝日新聞』の記事です。 かつて、淡路島から南に突き出た半島があったが(概略位置地図)、1500年ごろの地震(1586年の天正大地震?)で海底に沈んだ、という伝承を紹介しています。その半島上にあったのが「白石村」で、半島が砂地だったために地震で海没したようです。半島があったとされる場所には、中央構造線が通っています:
別府湾にあったとされる瓜生島(島ではなく、大分の北にあった沖ノ浜か)と久光島が海没したのは、1596年に豊後国で発生したM7.0の地震が原因とされています。この年には、慶長伊予地震(9月1日、M7.0)、慶長豊後地震(9月4日、M7.0)、慶長伏見地震(9月5日、M7.5±)が発生しています。四国の中央構造線上で発生した地震が西と東に飛び火した連続地震です。
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