2018年5月5日土曜日

「ローマ大地震」とラファエレ・ベンダンディ


毎年5月11日が近づくと、彼のことを取り上げる記事を見かけるようになります。ローマ市民の中には今でも5月11日に市内にいることを避ける人もいるそうです:

日本ではほとんど知られていないベンダンディ氏について、英語版の Wikipedia の「Raffaele Bendandi」の項から抜粋・テキトー訳します:
ラファエレ・ベンダンディ(Raffaele Bendandi、イタリアのファエンツァ生まれ、1893年10月17日~1979年11月3日、画像) は、イタリアの時計職人で、数々の地震を予知したことで知られる。ベンダンディは独学で(科学を)学び、自身の(地震予知)理論について検証可能な科学的説明を公にしたことはない。

ベンダンディはファエンツァ(地図)の中流家庭に生まれた。彼は学校に5年間しか通わなかったが、1905年8月30日の日食がきっかけで太陽系内の惑星の動きに興味を持つようになった。

時計職人と彫版師(印刷や版画用の銅板に絵や文字を彫る技術者)の仕事をするかたわら、彼は製図の講座に参加し、精密な機械や図面を作成して彼の理論を研究したり人に示したりできるようになった。

1908年のメッシーナ地震の後、彼は潮汐の研究を始めるとともに、独自の地震計を考案した。

1914年10月、彼は非公表の覚書で1915年1月13日に地震が発生するであろうと予測した。予測どおりの日にアベッツァーノ地震が発生し3万人の犠牲者が出た。その後、彼は過去の地震と惑星の配列の研究に没頭し、地震計を備えた自分の観測所を設立した。

第一次世界大戦に従軍した後、1920年に彼はイタリア地震学会に加入した。長い時間をかけて彼は地震の本質についての「seismogenics」という独自の理論を構築した。

通常の科学的な証拠に支持されているわけではないが、地震は太陽系内の惑星の配置によって引き起こされる ― 月や太陽、その他の惑星が地球の地殻に重力的影響を及ぼす、と彼は考えた。

公証人のもとに登録した文書で、1924年1月2日に地震が発生するとの予測をしたことで、彼は有名になった。彼の予測は2日ずれただけで的中した。1924年1月4日にマルケ州で地震が発生したのだ。この予測的中にもとづいて、イタリアの新聞  Corriere della Sera は一面トップでベンダンディのことを伝えた。

1920年代、彼はイタリアや海外の新聞に多くの地震予測を公表した。

ベニート・ムッソリーニはベンダンディに感銘を受け、爵位 Knight of the Order of the Crown of Italy を授けたが、1928年には彼が地震の予測を公表することを禁じた。観光産業が損害を受けることを防ぐためであった。

1931年、彼は「Un Principio Fondamentale dell'universo」(宇宙の基本的原理)を出版したが、地震を予測する彼の手法を説明することはなかった。

1950年、彼は地震予測の公表を再開し、1960年代末に一時中断したものの、1977年まで続けた。

彼の予測と実際の地震を比較した研究は、「ベンダンディの地震発生時期の予測精度は注目に値する」と結論づけている。

後年、彼の予測は、日付と場所について次第に曖昧になったが、1000人の犠牲者が出た1976年5月6日のフリウリ地震は予測できていたといわれている。

彼は、太陽と水星の間に新しい惑星を発見したと主張し、自分の生まれ故郷にちなんでファエンツァと名付けた。

彼が死んだ後、何者かが彼の資料を焼却してしまった。残存している資料は1996年から2012年までの太陽活動に言及している。

ファエンツァにある彼の生家は「Casa Museo Raffaele Bendandi」という博物館になっている。


2011年に起きたこと

2011年1月、Protezione Civile(市民保護や防災を担当する国の機関)が発行したと称する偽の小冊子が Ciampino の自治体で出回った。その小冊子には、ベンダンディが 2011年5月11日に地震が発生すると予測しているので、住民はその日が来る前に避難するように、と書かれていた。特にソーシャルメディアを通じてうわさが広がり続け、地震に襲われるのは首都ローマだと特定されるようになった。

2011年5月、ローマ市民は5月11日の地震にそなえてローマから逃げ出した、と伝えられている。

ベンダンディの文書を保管している管理人は、その日付に該当する予測は存在しないと否定し、イタリア国立地質学・火山学研究所(INGV)はその日にローマにある施設を公開する催しを実施した。

当日、ローマで地震は発生しなかった。それにもかかわらず、いくつかのメディアは、同日に1300km離れたスペインのロルカで地震が発生したことを報じて注目を集めた。INGVは「スペインとイタリアの間には地質学的な関連はまったくなく、ローマで地震が発生するとの予測とも無関係である」との声明を発表した。

「死せるベンダンディ、生けるローマ市民を走らす」といったところでしょうか。ちょうど2ヶ月前の2011年3月11日に日本で東北地方太平洋沖地震(Mw9.0)が発生したことも、ローマ市民の行動に影響していたことは間違いないでしょう。


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