2023年8月27日日曜日

「もう一度生きているうちにああいう地震に遇えないものかと思っている」

 
青空文庫収録の『牧野富太郎自叙伝』から「大震災」の部分(読みやすくするために段落に分けましたが、原本に段落はありません):

震災の時は渋谷の荒木山にいた。私は元来天変地異というものに非常な興味を持っていたので、私はこれに驚くよりもこれを心ゆく迄味わったといった方がよい。
 
当時私は猿又一つで標品を見ていたが、坐りながらその揺れ具合を見ていた。そのうち隣家の石垣が崩れ出したのを見て家が潰れては大変と庭に出て、庭の木につかまっていた。妻や娘達は、家の中にいて出て来なかった。家は幸いにして多少の瓦が落ちた程度だった。余震が恐いといって皆庭に筵を敷いて夜を明したが、私だけは家の中にいて揺れるのを楽しんでいた。
 
後に振幅が四寸もあったと聴き、庭の木につかまっていてその具合を見損ったことを残念に思っている。その揺っている間は八畳座敷の中央で、どんな具合に揺れるか知らんとそれを味わいつつ座っていて、ただその仕舞際にチョット庭に出たら地震がすんだので、どうも呆気ない気がした。その震い方を味わいつつあった時、家のギシギシと動く騒がしさに気を取られそれを見ていたので、体に感じた肝腎要めの揺れ方がどうも今はっきり記憶していない。
 
何といっても地が四五寸もの間左右に急激に揺れたのだから、その揺れ方を確かと覚えていなければならん筈だのに、それを左程覚えていないのがとても残念でたまらない……もう一度生きているうちにああいう地震に遇えないものかと思っている。