大正十二年ごろ関東地方に大地震がある、ということをある権威ある地震学者が予言したと仮定する。その場合今度のような大災害は避けられたであろうか。大本教は二、三年前大地震を予言して幾分我々を不安に陥れたが、地震に対する防備に着手させるだけの力はなかった。しかしそれは大本教が我々を承服せしめるだけの根拠を示さなかったからである。もし学者が在来の大地震の統計や地震帯の研究によって大地震の近いことを説いたならば、人々はあらかじめあの震害と火災とに備えはしなかったであろうか。
自分は思う、人々は恐らくこの予言にも動かされなかったろうと。なぜなら人間は自分の欲せぬことを信じたがらぬものだからである。死は人間の避くべからざる運命だと承知しながらも我々の多くは死が自分に縁遠いものであるかのような気持ちで日々の生を送り、ある日死に面して愕然と驚くまでは死に備えるということをしない。それと同じように、百年に一度というふうな異変に対しては、人々はできるだけそれを考えまいとする態度をとる。在来の地震から帰納せられた学説は、この種の信じたがらぬものを信じさせるほどの力は持たない。結局学者の予言も大本教の予言と同様に取り扱われたであろう。
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