2017年4月16日日曜日

放散虫革命とプレートテクトニクス


プレートテクトニクスは1960年代の後半に発展し、ヨーロッパやアメリカでは広く受け入れられてきました。ところが、日本の地質学界はソビエト連邦(現ロシア)と並んでプレートテクトニクスに対する抵抗が強く、1970年代末になっても、プレートテクトニクスを認めず、地向斜造山運動によって日本列島の形成を説明しようとする勢力が学界を牛耳っていました。

そんな学界の閉塞状況を打ち破って、地向斜造山運動論に止めを刺し、頑迷固陋な抵抗勢力の息の根を止め、一気にプレートテクトニクスを受け入れさせる契機となったのが、1970年代末から1980年代初頭の数年間に起こった「放散虫革命」でした。

放散虫は主に海産のプランクトンで、先カンブリア紀から現代まで生息しています。珪酸質の骨格が化石として残りやすく、その形状が多様で時代による変化が大きいため、岩石や地層の年代を決定するのに極めて有効です。この放散虫の化石を岩石から効率よく分離する方法が見つかったことで、日本国内の岩石や地層の年代が詳細に解明されるようになり、地向斜造山運動論は成り立つ余地がなくなりました。

以下は、「革命の渦中にいた」福井市自然史博物館の研究者による放散虫革命のわかりやすい解説記事です。地元福井県の南条山地(地図)を例にとっているのですが、同地域のプレートテクトニクス以前と以後の地質図の比較が非常に面白いです。多数の断層で区切られた前者と断層がほとんどない後者。その変化の理由は何でしょうか:

放散虫革命の立役者の一人が、高知大学理学部助教授だった平朝彦・国立研究開発法人海洋研究開発機構理事長です。以下は『プレート収束帯のテクトニクス学』(木村学、東京大学出版会、2002)からの引用です:
日本の地質学界は世界に遅れること十数年にして、プレートテクトニクスを新たな証拠とともに受け入れることとなったが、逆にこの放散虫革命は日本の地質学界でしかなし得なかった新たな到達点であった。1981年アメリカ地質学会のペンローズ会議における平朝彦の四万十帯研究成果の発表は、集まった世界の付加体研究者に大変な衝撃を与えた。日本列島は付加体研究のフィールドとして一挙に世界の最前線に躍り出ることになった。今や付加体の研究をするうえで、日本列島を無視することはできない。