クラウディウス・アエリアヌス著『ギリシア奇談集』(岩波文庫 赤 121-1)から:
スパルタ人がタイナロン〔のポセイドン神殿〕の嘆願者を信義に悖る仕方でその場から立ち退かせて殺した時(嘆願者は隷農だった)、ポセイドンの怒りで地震がスパルタを襲い、激しく町を揺ったので、町全体で残った家はわずか五軒であった。
次のような訳注が付されています:
前464年のこの事件は多くの文献に記されているが、プルタルコス『キモン伝』16 によると、この時の王アルキダモスは、スパルタ人が家財の救出に狂奔するのを見て集合喇叭を吹き鳴らし、人々を家屋倒壊の下から救った。
この訳注は曖昧な点があって、アルキダモス王が集合喇叭によって人々を呼び集め救助の体勢を整えたとも、余震による建物の倒壊でさらに犠牲者が出るのを防いだとも解釈できます。後者だとすると日本の「稲むらの火」を思い起こさせる逸話です。
しかし、実際はそのいずれでもなかったようです。以下は "Plutarch, Cimon" からのテキトー訳です:
地震の直前、若者たちが列柱のある屋内競技場の中で訓練をしていると、一匹の野ウサギが現れた。若者たちはおもしろ半分に建物の外に飛び出し野ウサギを追いかけた。建物の中に残った者は崩落した建物の下敷きになって死んでしまった。彼らの墓は、今日に至るも Seismatias と呼ばれている。
アルキダモス王は間近に迫っている危機をただちに把握した。彼はスパルタ市民たちが倒壊した家屋から貴重品を取り出そうと狂奔しているのを見て、敵の襲来を告げるラッパを吹き鳴らすよう命じた。市民たちを速やかに武装させ彼の下に参集させるのが目的である。この行動がスパルタを危機から救った。なぜなら、地震から生き残ったスパルタ人を殺すために周辺の国土からヘロット(農奴、奴隷)たちがどんどん集まってきていたからである。
しかし、スパルタ人たちが武装して隊列を組んでいるのを見た彼らは、それぞれの都市に引き上げ、多くの自由民(Perioeci)を巻き込んで戦端を開いた。メッセニア人(Messenians)もスパルタ人に対する攻撃に加わっていた。
著者のクラウディウス・アエリアヌスは、西暦200年ごろのローマ人です。