2008年12月29日月曜日

メッシーナ地震と地震発光、予言

今から100年前の1908年12月28日に発生したメッシーナ地震について、マルタ島(マルタ共和国)のニュースサイトが伝えています:
100 years ago today: lights in the sky foretold Europe’s worst earthquake (100年前の今日: 空の光がヨーロッパ最悪の地震を予告していた)
メッシーナ地震は、
記事のタイトルにもあるように「ヨーロッパ最悪の地震」とも言われ、強い揺れと津波で多くの死者を出しました。マグニチュードや死者数については、資料によってばらつきがありますが、USGS(米国地質調査所)の資料では、マグニチュード7.2、死者7万2000人としています。イタリアのニュースサイトでは、マグニチュード7.5、死者20万人としているものもあります。震源は、イタリア本土とシチリア島の間のメッシーナ海峡です。なお、マルタ島は、シチリア島の南約100kmにある小島です。


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記事の概略は以下のとおりです:
100年前の今日、夜明けの数時間前、マルタ島の住民は北の水平線上に奇妙な光を目撃した。数分後、メッシーナ地震が発生した。メルカリ震度階で震度10("破滅的")、マグニチュード7.1であった。大地は32秒間にわたって揺れ、メッシーナの街と、メッシーナ海峡をはさんで対岸にあるレッジョ・ディ・カラブリアの街が破壊された。メッシーナでは90%の建物が倒壊した。

地震の後も数時間にわたって建物の崩壊が続き、道路に避難した人びとが死傷した。安全を求めて港に避難した人たちには、不意に高さ10メートルの津波が襲いかかり、約2000人が死亡した。

メッシーナ地震は、(救援活動で)汎ヨーロッパ的な連帯が示された最初の機会としても記憶されている。マルタ島からも支援が送られた。

奇妙な話をジャーナリストが伝えている ―― メッシーナ地震の2日前、ジローラモ・ブルーノという若い男が窃盗の罪で法廷に召喚された。短い審理の後、彼は有罪とされ、懲役2年の刑を言いわたされた。突然、その男の母親が法廷に乱入してきた。恐ろしい形相で、目は怒りに燃え、あたかも悪魔に取り憑かれた女のようであった。そして彼女は叫んだ。「お前たちを呪ってやる。目を持った地震が起こって、お前たち盗人(裁判官や検事たち)全員とメッシーナのすべてを殺すだろう」と。
記事の中にある「an earthquake with eyes」には特別な意味があるのかもしれませんが、とりあえず直訳して「目を持った地震」としました。記事には母親が叫んだ内容が現地の言葉でも記載されています ―― 「avia a veniri un tirrimotu cu li occhi e v’avi a ‘mmazzari a vui birbanti e a tutta Missina」。雰囲気はイタリア語的ですが、単語の綴りは異なっています。おそらくシチリアの言葉だろうと思います。イタリア語では、「terremoto」が地震、「occhi」が目ですので、「un tirrimotu cu li occhi」が「an earthquake with eyes」に相当しているのでしょう。

マルタ島の住民が目撃した北の水平線上の光は、地震発光の可能性があります。
兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)の際にも同様の現象が目撃されていました。しかし、メッシーナ地震当時は、すでにガスの配管がある程度普及していて、それが地震で破損し燃え上がったとの記録もあるので、その火炎が見えたとも考えられます。震源からマルタ島までの距離約280km、S波の速度が毎秒3~4kmとすれば、マルタ島に強い揺れが伝わるまで70~90秒。目撃談にある発光と地震の間隔「数分」というのは時計で計ったものではなく、人間の感覚にもとづくものと考えられますので、それほど矛盾はしていないように思います。

窃盗犯の母親が叫んだ呪いの言葉に「地震」が含まれていたのは偶然の産物と考えるのが妥当でしょう。イタリアでは地震が多く、たくさんの人間に害悪を及ぼしてやると呪うときに、地震を持ち出しても不思議ではないと思います。

メッシーナ地震は、アメリカでも揺れを観測しています。このように遠方で、当時の地震計で揺れを検知したということは、震源での揺れの激しさを物語っています。この地震の後、被災地のシチリア島やイタリア南部からアメリカへの移民が急増しました。マーロン・ブランドの「ゴッドファーザー」やチャールス・ブロンソンの「バラキ」の世界は、このメッシーナ地震とあながち無縁ではないといえます。