日本書紀、続日本紀、日本後紀に次ぐ第4の勅撰史書・続日本後紀の承和六年(西暦 839年)六月二十八日の記事から、未確認空中現象(UAP: Unidentified Aerial Phenomena)とおぼしき現象の記録を紹介します。承和六年は平安京遷都から 45年が経過した平安時代初期、仁明天皇の治世です:
是夜。有赤氣。方■丈。從坤方來。至紫宸殿之上。去地廿許丈。光如炬火。須臾而滅。(「■」は「卅」に縦線が 1本追加された文字で「四十」の意。)本日夜、方四十丈の赤色の光る物体が、東北の方角から紫宸殿の上まで進んできた。地上二十丈程の高さのところに炬火(たいまつ)のように明かるく見えたが、しばらくして消えた。
現代語訳は、『続日本後紀(上)』(森田悌 全現代語訳、講談社、2010)から引用しました。
1丈は約 3m なので「方四十丈」はおおよそ 120m × 120m、二十丈は約 60m となります。
原文にある「赤氣」は、多くの場合、地平線近くの空が赤みを帯びて見える現象とされ、太陽活動の活発化によって日本などの低緯度地域でも見られたオーロラと解釈されますが、上記の場合は紫宸殿の上まで移動してきて明るく見えていることから、通常の「赤氣」とは違うようです。
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