六国史の第4番『続日本後紀』を見ていると、承和13年から承和15年(嘉祥元年)にかけて(西暦 846年〜848年)、鳥類の異変が多く記録されています。それらも含めて、自然現象の記録を抜き出してみました。現代語訳は『続日本後紀』(全現代語訳・森田悌、講談社学術文庫、2010)から引用しました。
ちなみに、この時代は仁明天皇の治世です。仁明天皇は嵯峨天皇の子で、平安京遷都で知名度が高い桓武天皇の孫です。桓武平氏につながっていく高見王や平高棟と同世代です。
承和13年 1月4日 | 烏が漏刻(水時計)の時刻を記した竹札を銜えて飛び去り、春興殿の上に落とした。 |
2月27日 | 地震があった。 |
10月25日 | 白鷺が建礼門院上に集まり、まもなく大庭(紫宸殿の前庭)の版位のところへ降りて集まった。 |
承和14年 3月13日 |
雄雉が東方から飛来して、主殿寮の直廬(内裏内郭の南東の隅)の前に集まった。渠の西から走って閤門中に入り込んだ。右近衛六人が近づいて見ると、体に傷はなく、羽毛が整っていたことが判った。 |
3月14日 | 不思議な雉を北野で放った。高く飛び去った。 |
閏3月4日 | 天に鳴き声が聞こえた。その余響は大きく、しばらくの間続いた後止んだ。 |
閏3月13日 | 群れをなす鳥が何億、何万と太陽のまわりを廻って上下した。日中から夕刻に至るまで空に見えたが、何という鳥か判らなかった。 |
閏3月 | 本月 しばしば鳥の群れが出現した。夜明け前に西から東に進み、天を覆うほどで、その間空が全く見えなかった。多くの故老を訪い質問したが、皆、聞いたことがない、と言った。 |
6月12日 | 激しい雨となり、滝のようであった。本日夜、月暈の外に白気がたちこめた。 |
6月21日 | 長雨が止まった。 |
10月27日 | 鷺が春興殿の上に集まった。 |
11月9日 | 天の北の方に雷鳴のような音がした。 |
11月20日 | 午後八時頃、流れ星のようなものが出現した。西から東に向かって堕ち、その輝きは幅が二町、長さが十丈ほどであった。 |
承和15年 1月29日 |
陰明門に𨷻入しようとした狂人がいた。門衛が捕らえて連れ去った。 |
2月22日 | 地震で、雷鳴のような音がした。多くの犬が驚いて吠えた。 |
2月26日 | 本日、宮城の北東の隅の垣の瓦が自然に頽落し、雷鳴のような響きがした。 |
3月6日 | 神泉苑の東垣の瓦が八丈余ほどひとりでに頽落した。雷鳴と同じような響きがした。 |
3月8日 | 大地がはなはだ震動した。 |
3月28日 | 地震があった。 |
4月3日 | 地震があった。 |
5月1日 | 日蝕があった。 |
6月24日 | 地震があった。 |
6月25日 | 地震があった。 |
7月7日 | つむじ風が春興殿の庭に発生し、紫宸殿の東北のあたりまで来て、さらに清涼殿の東を通り、そこから右近衛陣に向かい、炬屋を煽るようにして地上数尺ほど持ち上げ、炬屋は版位の前まで来て、草木がなびくように摧破した。 |
7月29日 | 雷と稲光が異常に激しく、東西二京を震動させた。(以下被害の記述が数行にわたって続くが省略。) |
8月3日 | 雨が降り、夜通し止まなかった。 |
8月4日 | 雨の勢いは井戸を顚倒させたように激しく、終日止まなかった。 |
8月5日 | あたり一面が洪水となり、人・畜が流され、河陽橋は壊れてわずか六間分が残り、宇治橋は傾き、茨田堤は随所で破潰した。故老は皆、大同元年の洪水に倍し、四、五尺になった、と語った。 |
9月2日 | 青鷺が紫宸殿南庭の版位の下に集まった。 |
10月7日 | 地震があった。 |
10月20日 | 地震があった。 |
12月2日 | 地震があった。 |
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