2020年6月16日火曜日

安倍晴明が津波を封じた晴明塚


平安時代の陰陽師・安倍晴明が津波を封じたという伝承が残る晴明塚が静岡県掛川市にあります(地図)。海岸沿いに、御前崎から約20km、浜岡原子力発電所から約13kmのところです:

以下は、現地にある案内板の記述です(上の資料の写真から):
晴明塚(市指定文化財)

今からおよそ千年前、京の都に安倍晴明という天文、暦学にくわしい陰陽師があった。
ある時、荒波で聞こえた遠州灘に面したこの地に立寄り 、村人の乞いに応じてそれまでしばしばおそった津波防止のために、ここにあずき色の小石を積み上げて熱心に祈祷をした。その霊験により以後この村には津波の災難がなくなったと言われる。このため、村人は自然の暴威を鎮めた晴明の徳をたたえてここに祀り、晴明塚と称するようになった。また晴明塚に祈願すると疱瘡にかからぬと信ぜられ、往年その流行期には遠近から多数参詣者があった。疫病予防のためには赤い石一個を借り出しお礼の時には二個にして返す。すると返した石がどんな色の石でもあずき色にかわると伝えられ、遠州七不思議の一つに数えられている。

教育委員会

天災から日本史を読みなおす』(磯田道史、中公新書 2295、2018)には、微妙に異なる伝承が『遠江古蹟図絵』(1803年=享和3年)という古文書の記述が紹介されています(文中の「藤塚村」は晴明塚のある場所です):

昔、安倍晴明がここに来て、卜筮(うらない)をやり、「この村には近日中に津波がきて人家が流され溺死者が出るだろう」と嘆いた。村人は驚き「その水難を避ける方法があるか」ときいた。すると、晴明は「この浜辺に塚を築いたらよい」といって、赤色の石を集めてしきりに並べ山のように積み上げた。そして「この塚より内側には波が入ることはない」といった。果たして、その翌日、大津波が襲来して、浜辺の人家は、みな流された。藤塚村だけが残り、ほかの村は一軒も家が残らなかった。
(中略)
この塚の上に子どもが上がって、土砂や石が下へ崩れ落ちても一夜のうちに元に戻るという。また、ここの赤石を人が持ち帰ると、たちまち祟りがあり、狂気するので、人はみな怖れている。

『天災から日本史を読みなおす』の著者・磯田道史氏は、掛川市で想定されている津波は最大14m、晴明塚の南側の砂丘は海抜14.5mで一帯の最高地点であるので、最大級の津波に襲われた場合でも「晴明塚の南側だけがポッカリと島のように浮くはずだ。陰陽師の塚は、過去に津波で浸からなかった、点のような場所を示す赤い印であったのではないか」と書いています。

案内板の方には、塚に積まれた石が疫病予防に効験があるということが書かれています。新型コロナウィルスにも効果があると良いのですが。


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