「木曾路はすべて山の中である」で始まる島崎藤村の小説『夜明け前』に、幕末の木曽で目撃された不思議な現象が書かれているそうです:
現象の記述は「序の章」にあり、次のとおりです:
「どうもことしは年回りがよくない。」
「そう言えば、正月のはじめから不思議なこともありましたよ。正月の三日の晩です、この山の東の方から光ったものが出て、それが西南の方角へ飛んだといいます。見たものは皆驚いたそうですよ。馬籠ばかりじゃない、妻籠でも、山口でも、中津川でも見たものがある。」
小説の舞台は中山道の宿場町・馬籠宿(現在の岐阜県中津川市馬篭、地図)。藤村の生まれ故郷です。時は、「東海道浦賀の宿、久里が浜の沖合いに、黒船のおびただしく現われたといううわさが伝わって来た」という文があるので嘉永六年。「光ったもの」が飛んだのは同年正月3日(西暦1853年2月10日)。
最初に掲げた『中日新聞』や『東京新聞』のコラム記事では、空を飛んだ「光ったもの」について「藤村は地元の資料を基にしたはずで、ひょっとしてUFOではないか」という見方を紹介していますが、私は伊賀上野地震か安政東海地震の前兆の可能性があるのではないかと思っています。
時系列を整理すると:
- 1853年2月10日(嘉永6年1月3日) 「光ったもの」が西南の方角へ飛んだ
- 1853年7月8日(嘉永6年6月3日) ペリーが率いる黒船艦隊が浦賀に来港
- 1854年7月9日(安政1年6月15日) 伊賀上野地震(M7¼、震央地図)
- 1854年12月23日(安政1年11月4日) 安政東海地震(M8.4)
- 1854年12月24日(安政1年11月5日) 安政南海地震(M8.4)
- 1872年3月25日 島崎藤村 中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)に生まれる
- 1943年8月22日 島崎藤村 没
伊賀上野地震や安政東海地震の前兆だとすると先行時間が長すぎるきらいがありますが、漠然と黒船が来たころに「光ったもの」が飛んだという言い伝えを出身地で耳にしていた藤村は、その話を小説のストーリーを展開する上で都合の良い時点に取り込んだのではないでしょうか。つまり、「光ったもの」が実際に目撃されたのはもっと地震発生に近い時期ではなかったか、と思うわけです。
なぜそう思うかというと、昭和の東南海地震(1944年12月7日、M7.9)の前に類似の現象が複数の人によって目撃されているからです。以下は 『地震前兆現象 予知のためのデータ・ベース』(力武常次、東京大学出版会、1986)に掲載されている2つの証言です。同書では同一の現象を目撃したと判断しています。目撃場所は静岡県浜松市の天竜川駅前広場(地図)で、震央距離 150km、先行時間 20時間:
12月6日午後5時30分頃?(うす暗くなった頃)。赤色 いわゆる火の玉というか、赤くて、進行方向がマルくて尾を持った様な物体が東から西に向かって流れるように通過、1つ、ゆっくりと浮び、流れるように、時間的には30秒位だったと思う。
月日は正確には記憶がない。夕方うす暗くなってからの時刻、国鉄東海道線天竜川駅前広場から見た。北方100〜350mぐらいの感じ、高さ100mぐらい。光の残る感じ(中略)火の玉が東から西に動く。色はオレンジがかった赤、大きな鳥がとぶような感じで動いた。頭部の直径は30cmぐらい 100〜150m動き、30秒〜1分間で消えた。列車が遅れ100人ぐらいの乗客が騒ぎながら見たので私一人の錯覚ではない。
『夜明け前』は青空文庫で読むことができます: